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映画『クローズZERO』★花盛りの君たち

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作品についてhttp://cinema.pia.co.jp/title/7773/
↑あらすじ・クレジットはこちらを参照してください。

(以下、雑感です)

私が見てどーこー言ってはいけない作品だと思いますので、こそっと(笑)。

ヒドイですね~(笑)。いい意味で、ヒドイ(激)!!
ヒデェです.....。(細・笑)

たかだか学校のてっぺんを取るとか言って、
ひたすら、殴りっこです。も~ボコボコ。血ィ吐いてるし。
そんなこと(失礼...)に、熱くなっている姿は、ある意味、ひたむきで
可愛くなっちゃいましたよ。
そのエネルギーを、ほかに使ったら、役に立つのにね。

一応、先生はいるらしかったですが、絶対、授業なんてしてないですね。
クラスの1組、2組は、そのままヤクザにあてはまりますよ。
(きっと学級委員は、組長って呼ぶと思う。)

そんな中にも、一チョ前に(失礼....)
友情あり、策略あり、やくざもんの仁義ありだから、
殴りっこにも、意味が出てきたりして、それなりに、
熱くて痛いものを、見せてもらったな~と言う感じでした。

男子校と言えば、桜咲学園を舞台にした
『花盛りの君たちへ~イケ面パラダイス~』を
連想しますが、こっちの鈴蘭高校は、名前は可憐だけど、
イケパラは、小栗君の周辺の一部かな....(失礼)。
高校生にしては、老けてたけど、まあいいでしょ。
(若作りして奮闘してるのは、私も、人のこと言えないから・笑)

これは、チケット買う時に、勇気いりました。
「クローズ....」
「クローズドノートですか?」
「いえ、クローズです。高校生と中学生の分も...。」
ああ、この人は、付き添いなんだって思ってくれたみたいです。
「小栗君が出るから、これ観ない?」
と、言い出したのは、私なんだけど.........(笑)。



                                              .
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テーマ : 邦画
ジャンル : 映画

映画『チャタレイ夫人の恋人』★心>体~雑感です。

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作品についてhttp://cinema.pia.co.jp/title/7773/
↑あらすじ・クレジットはこちらを参照してください。
(ショーン・ビーン主演のです)

以下、雑感となります。

単刀直入に言いますが、
夫人が森番と親しくなったのは、夫の体のせいではないと思っています。
思いやりだとか、優しさだとか、心の問題が1番だと思っています。

夫の性格は、とにかく偉いですもの。

妻も、家来の一部と言う感じでした。悪い意味で、私物。
交流する心がないことが、1番の原因だと思いますよ。

もし、お互いが心で繋がっていると感じられていたら、そばにいるだけで
満たされるはずでしょう?
心の渇きは、何かで埋め合わされるものでは、ないのです。
半分、埋まればいいというものでもありません。
なみなみと満たされ、かつ満たされ続けたい.....

そこで出逢ったのが、森番だったと。

作品では、心の問題より、体の問題に
インパクトがあるような印象を受けますが
(映像で観ると、恥ずかしくて観ていられません....)

体は、あくまでも心に付随したものであると、私は解釈したいです。
そうでなければ、
もし、森番の体に不都合が起こったら、別れてしまいそうでしょう?
森番との出逢いは、
ずっとつながっていられる心を見つけた、と思いたいのです。

究極的には、いつか肉体は滅びても、心は永遠に存在していると、
信じることも出来るからです。

いつだったか、意識不明の妻の介護をしていた夫が、離婚申請したとき、
病気を理由に、妻を捨てるのか、と思いましたが、
その夫は、他の人と再婚しても、介護は続けるとのことでした。
では、なぜ?
それは、彼曰く、
「心のつながりが見出せなくなった。」と言うようなことでした。
意識不明でも、妻の潜在意識には、
夫のとの思い出や愛情があると思いたいですが、
それを感じていられる手立てがない、と夫が感じたときに、
二人のつながりは、なくなったということだったのでしょうか.......???

心と体のバランスについて、どちらがどうだとの答えは、今のところ
私にはありません。

が、今のところ、私は、
心のつながりは体のそれを越えるもの、ということを
信じていたい立場です。


PS:「レディ・チャタレイ」は、どう描くのでしょう。
同じ作品の製作者による違いを見るのは、とても楽しみです。




テーマ : 洋画
ジャンル : 映画

映画『オペラ座の怪人』(2004)★絶望の象徴でもあるファントム

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作品について http://cinema.pia.co.jp/title/11149/
↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。

ジェラルド・バトラーのファントムです。

ファントムへの思慕を語り尽くせなません。

♪The point of no return

ファントムとクリスティーヌが、
劇中劇に登場し、あたかも情熱の火花を散らすかのごとく
二人で歌うシーンです。

その時の、二人の関係は、もはや師弟ではなくなりつつありました。
ファントムは、できればクリスティーヌを弟子という現状のまま、
無難に囲いたかったかも知れないと思いつつ、
クリスティーヌの花嫁人形を作ったというマニアックぶりも恐ろしいほどに、
彼女を、女性・恋人・妻と見ようとしていたことがうかがえます。

一方、クリスティーヌは、幼なじみの青年ラウルに惹かれていましたが、
自分を影で支えてくれていたファントムにも、
敬愛以上の気持ちを感じていたはずなのです。

(これ、わかる....。
相手によって、好き☆の感覚が違うの。
だから、どっちがいいとかどっちが1番とか、決められないの。..........優柔不断ですか??)


クリスティーヌへの想いを止められなくなったファントムが舞台に乱入し、
自らが脚色した舞台の1シーンで、
挿入歌に託して、自分の気持ちをアピールするのです。
が、その歌詞は、あまりに情熱的で誘惑的で、
.....とても恥ずかしくて書けませんので、
割愛します。(がっかりしてる方いますか??)

そのときのペンパルさんに、”私は、このシーンで女になった気がしました”と
書いた覚えがありますが、
その時のファントムに対し、
私は、ファントムとなら地獄に堕ちてもいい、とさえ思うほど、
ファントムに入れ込みました。
男女感を川に例えれば、ファントムとは、川の半ばで出逢ったとしたら、
そのまま二人で沈んでもいい、というような感覚でしょうか。

歌詞で、ペンパルさんと話題にした箇所があります。
クリスティーヌが歌う

♪Our passion play has now,at last,begun
passion play って、どんな??

結局、二人の前に立ちはだかる”受難劇”ということに落ち着きましたが、
本当のところは、どうなのでせう......。

そして、そんなこんなで、
ファントムが、クリスティーヌを諦めて見送るシーン。

♪You alone can make my song take flight
It's over now ,the music of the night!

その時のファントムの涙を見てください。
キラキラして、びっくりするほど綺麗です。
美しすぎて、だから、余計に哀しくなってしまうのです。
クリスティーヌは、別れながら、ファントムをずっと見ていました。
ああ、これできっとファントムは、
永遠にクリスティーヌの心に住み続けるな、と思いました。

私にとって、ファントムは、絶望の象徴です。
けれど、だからこそ、たとえ私が、どん底に落ちてしまっても、
絶望の淵には、ファントムがいてくれる、と思うことで、
その絶望を受け入れられるような気さえ、することもあるのです。




テーマ : 洋画
ジャンル : 映画

映画『(ハル)』★“その先”の雑感

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作品について http://cinema.pia.co.jp/title/2676/
↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。

(ネタバレ:レビュー転載↓)

インターネットでつながった(ハル)と、ほし。
顔・形がわからない相手にだと、素直な自分を向けられるから.....。

これだけネットのつながりが盛んなのは、
誰もが、そう思っているのかもしれない。
名前や顔、職業や立場、自分の正体を知られずに、
でも、自分の“生身の正体”を、見知らぬ誰かでいいから、
受け止めて欲しいと思っている。
普段、会っている人とは、顔を見せていても、内面まで見せるつきあいを
していないから。

ほしは、亡くなった彼を忘れさせてくれる人を探しながらも、
彼の一字を持った人(ハル)を選んだ。
彼を忘れる、ということは記憶から捨て去ることとは違う。
別れの苦しみにまみれた記憶を、
美しい思い出に変えて意識の奥に沈めておくことと
私は、思っている。
彼への想いを留めながらも、ほしにとって、(ハル)は、やがて
文字だけの人でなく、形ある人になっていく。

新幹線の窓を通して、初めて輪郭ある人としての存在を、
ほんの一瞬でも、確かめ合った二人。
ああ、この人が、自分の人生を生きて、
私に語りかけてくれている人なのだ....
という感激に、私は、目が潤んだ。
私が、パソコンの前に生きた自分を置いて、私を見て欲しいと思いながら、
送信したメッセージに、応えてくれる人のことを思った。
文字とアバターだけでない、私にとっては、全てが内面のその人。
少しずつ近づいて、親しみを持てば、その人に興味を持ち、
その人のことが知りたくなるのは、当然のこと。
その人の姿・形・声....生きて存在していることを、確かめてみたくなる。
そして、存在するその人が、私を見てくれていることで、
私も、自分が、生きて存在することを実感できそうな気もする。
だから、ほしは、赤いワンピースを着た。
自分が生きて、ここに存在していることを、
(ハル)の目に焼き付けてもらいたかったから...。
さらに、泣けてくるのは、ほしがイヤリングをしていたこと。
時速200kmで通り過ぎる新幹線からの遠景で、見える可能性は少ないのに、
少しでもお洒落して、綺麗にしている自分を見てほしい......。
(健気で、可愛くて、切ないです....)

しかし、
ほしは、(ハル)に嫉妬さえおぼえ、送信をやめた。
これは、妹と付き合っていたことを知り、
生生しく怒ったわけではなさそうだ。
私も、そうしたくなったから、この気持ちはわかる。
パソコンの向こうの人が、自分以外の人に、気持ちを向けるのは、
当然のことなのに、あらためて知ると、寂しいやら、哀しいやらで
言葉もでないほど、ショックなのだ。
そう、まさに言葉がでなくなってしまうのだ。
たくさんの想いが込み上げて、押し寄せてくるほど、
言葉は、出なくなってしまう..............。
伝えたくても、伝えきれなくなってしまうのだ....。

けれど、そんな傷みは、時が解決してくれる。
何より、(ハル)が何度も送信してくれて、メッセージを促してくれた。
....良い人だ、ハル。
メッセージがほしから来ないから、と諦めないでくれてよかった。
ありがとう。
その粘りは、嬉しいと思う。特に、本当に好きな人からは☆

そして、二人は、
メッセージで、本名や生年月日を明かし
遠景で、輪郭だけ確かめただけでなく、
間近に、その”存在”に逢った。
乗客が降りる新幹線ホーム。
雑踏のなかで、浮き出るように確かな存在になる二人。
挨拶を交わし、声を知る..........。
その声が、すぐそばで、お互いの内面を語るはず........。
お互いを実感した彼らの”その先”は、心を見ていない関係より、
ずっと明るいものだろうと感じながら、作品は終わる。

さて、パソコンンの前の、ほしに感情移入しながら、
ハッピーエンドを予感して見終えた、私はどうだろう。
私は、自分の輪郭さえ見せるのが怖い。
わかってほしい、と思いながら、
知られることも怖いのだ。
それは、ほしと(ハル)にはある”その先”が、
私には無いことを知っているから.....。

だから、私は、ハンドル名とアバターだけの”存在”で、
いさせてください....。

~~

ネットで親しくなった男女が、本当に顔を会わせたところで終わります。
きっと、“その先”、より親しい関係になって、結婚するところまで行ってほしいな、
と願った人も多いと思います。
もし、“その先”、波乱万丈があるとすれば、鑑賞した感激の出逢いが、
別れの序曲になってしまうからです。
ふと思いました。
男女の行く末に願っているハッピーエンドは、つまるところ結婚か、と。

①『マーサの幸せレシピ』と②『幸せのレシピ』を例に挙げます。
リメイクの関係になりますが、男女のシェフのお話です。
①では、シンデレラストーリー的な幸せの形として“結婚”を見せて終わりました。
(ドイツ作品でもあり、グリム童話つながりな雰囲気も感じます。)
しかし、シェフとしての仕事は、どうなったのかは、具体的には不明でした。
特に見せていなかったということは、現状維持ということだったのか、
就業形態よりも、二人が結ばれたということのほうが大切だ
ということだったのでしょうか?
それに対して、ハリウッドリメイクの②は、
最後、男女が結婚したかどうかは見せていません。
そうでなく、二人が自分たちの店を持って、
一緒に仕事していることを見せて終わります。
これは、アメリカ的な価値観かもしれません。
結婚したかどうかより、男女が共同作業をしていけるという“実質的な幸せ”を
見せていたようでした。
男女が出会った場合の究極の目標として、古風かもしれませんが、
今までの私の価値観だと、結ばれる=結婚というのが幸せの形でした。
ですから、結ばれる可能性のない“その先”には、悲壮感を感じたりしたのです。
②「幸せのレシピ」は、私が求めていた幸せの形を気付かせてくれたようでした。


ところで、
『マディソン郡の橋』にも、気になるシーンを思い出しました。
フランチェスカがロバートと一緒に行かなかったのは、
現状を壊したくない気持ちも、そうかもしれませんが、
“その先”が見えなかったからではないかと思います。
現実的に言えば、駆け落ちしても、生活苦や価値観の違いが露見して、
破局するような気がします…..。
二人が出逢ったシチュエーションの良さと、
4日間という限られた時間内での幸福感が
“その先”まで、続くということは、期待できなかったからではないかと。
ロバートの車が、目の前で立ち去った……そこで終わり。
“その先”は無し。
“その先”に目をつぶることで、残るのは、“忘れがたい想い出”だけとなります。
自分自身が“その先”に行かないということは、切ないことかもしれませんが、
“その先”に行かないことによって、愛した人への思慕を永遠に失わないで済む、
ということは、あるかもしれません。



テーマ : 邦画
ジャンル : 映画

『追憶』★余計なことを考えて

物語の結末は、数学の答えみたいにきっちり出さないで、
鑑賞者にゆだねるという、余韻たっぷりの香りが残る作品は、
見た後、いつまでも心に残りますよね。
あえて考察するのも、鑑賞後の楽しみでもあるのですが、
聞くだけ野暮(...)でもありますね(苦笑)。

『街のあかり』で、主人公の男性は、その後どうなったかを
考えているときに、ふと、高校の体育館で上映した『追憶』鑑賞後に
帰りの電車内で、友人と話したことを思い出しました。

『追憶』
ロバート・レッドフォードとバーブラ・ストライサンドの共演。
大学の反戦運動から始まった男女の物語で、結婚・離婚・再会、と話が続いたと思います。
二人が再会したとき、ロバートが、バーブラに聞くのです。

「結婚(再婚)した?」
「ええ。」

ええ、と答えているのだから、そう思えばいいのでしょうが、私は、
ひねてたのでしょうか、嘘だと思ったのです。
「ねえ、ロバートがバーブラに、結婚したか聞いたとき、バーブラが、ええって答えたけど、本当だと思う?」
「?」
「私は、本当は再婚してないと思う......。」

なぜそう思ったのか?
理由1:自分が再婚して幸せであることを、元夫に知らせることで、安心してもらって、
彼が自分と別れたことで感じているかもしれない罪悪感を、和らげたいと思う気もちから。

理由2:再婚して幸せであることを見せながら、元夫が、自分には過去の男でしかないという強がりや冷たさを見せ、彼が自分に感じていたかもしれない呪縛から、
彼を解放したい気持ちから。

では、なぜ再婚しなかったのか。
出逢いがなかった、というより、たとえどんな別れ方をしても、元夫以外に、
自分が夫と呼べる人は存在しない、と思っているから。
なぜなら、衝突や摩擦が生じて離婚したとしても、その前に、自分の感情を素直に表してきた相手だと、特別な想いを感じているから.....。

バーブラが、再婚したかしないか、本当のところはわかりません。
ただ、ほんの二言の会話なのに、
私に、二人の関係の複雑さについて想いを至らせたシーンとして、
印象に残っているのです。

プロフィール

yutake☆イヴ

Author:yutake☆イヴ
こんにちは☆
使い方がよくわかりませんがヨロシクお願いします。^^;

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