クローズZERO★花盛りの君たち




私が見てどーこー言ってはいけない作品だと思いますので、こそっと(笑)。



ヒドイですね~(笑)。いい意味で、ヒドイ(激)!!
ヒデェです.....。(細・笑)




たかだか学校のてっぺんを取るとか言って、
ひたすら、殴りっこです。も~ボコボコ。血ィ吐いてるし。
そんなこと(失礼...)に、熱くなっている姿は、ある意味、ひたむきで
可愛くなっちゃいましたよ。
そのエネルギーを、ほかに使ったら、役に立つのにね。

一応、先生はいるらしかったですが、絶対、授業なんてしてないですね。
クラスの1組、2組は、そのままヤクザにあてはまりますよ。
(きっと学級委員は、組長って呼ぶと思う。)

そんな中にも、一チョ前に(失礼....)
友情あり、策略あり、やくざもんの仁義ありだから、
殴りっこにも、意味が出てきたりして、それなりに、
熱くて痛いものを、見せてもらったな~と言う感じでした。


男子校と言えば、桜咲学園を舞台にした『花盛りの君たちへ~イケ面パラダイス~』を
連想しますが、こっちの鈴蘭高校は、名前は可憐だけど、
イケパラは、小栗君の周辺の一部かな....(失礼)。
高校生にしては、老けてたけど、まあいいでしょ。
(若作りして奮闘してるのは、私も、人のこと言えないから・笑)



これは、チケット買う時に、勇気いりました。
「クローズ....」
「クローズドノートですか?」
「いえ、クローズです。高校生と中学生の分も...。」
ああ、この人は、付き添いなんだって思ってくれたみたいです。
「小栗君が出るから、これ観ない?」
と、言い出したのは、私なんだけど.........(笑)。

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チャタレイ夫人の恋人★心>体




単刀直入に言いますが、
夫人が森番と親しくなったのは、夫の体のせいではないと思っています。
思いやりだとか、優しさだとか、心の問題が1番だと思っています。
夫の性格は、とにかく偉いですもの。
妻も、家来の一部と言う感じでした。悪い意味で、私物。
交流する心がないことが、1番の原因だと思いますよ。
もし、お互いが心で繋がっていると感じられていたら、そばにいるだけで
満たされるはずでしょう?
心の渇きは、何かで埋め合わされるものでは、ないのです。
半分、埋まればいいというものでもありません。
なみなみと満たされ、かつ満たされ続けたい.....
そこで出逢ったのが、森番だったと。
作品では、心の問題より、体の問題にインパクトがあるような印象を受けますが
(映像で観ると、恥ずかしくて観ていられません....)
体は、あくまでも心に付随したものであると、私は解釈したいです。
そうでなければ、もし、森番の体に不都合が起こったら、別れてしまいそうでしょう?
森番との出逢いは、ずっとつながっていられる心を見つけた、と思いたいのです。
究極的には、いつか肉体は滅びても、心は永遠に存在していると、
信じることも出来るからです。

いつだったか、意識不明の妻の介護をしていた夫が、離婚申請したとき、
病気を理由に、妻を捨てるのか、と思いましたが、
その夫は、他の人と再婚しても、介護は続けるとのことでした。
では、なぜ?
それは、彼曰く、
「心のつながりが見出せなくなった。」と言うようなことでした。
意識不明でも、妻の潜在意識には、夫のとの思い出や愛情があると思いたいですが、
それを感じていられる手立てがない、と夫が感じたときに、
二人のつながりは、なくなったということだったのでしょうか.......???

心と体のバランスについて、どちらがどうだとの答えは、今のところ
私にはありません。
が、今のところ、私は、心のつながりは体のそれを越えるもの、ということを
信じていたい立場です。



PS:近日公開の「レディ・チャタレイ」は、
どう描くのでしょう。
同じ作品の製作者による違いを見るのは、とても楽しみです。

オペラ座の怪人★ファントム




ジェラルド・バトラーのファントムです。

ファントムへの思慕を語りきれていないので、再び。
♪The point of no return
ファントムとクリスティーヌが、劇中劇に登場し、あたかも情熱の火花を散らすかのごとく
二人で歌うシーンです。
その時の、二人の関係は、もはや師弟ではなくなりつつありました。
ファントムは、できればクリスティーヌを弟子という現状のまま、
無難に囲いたかったかも知れないと思いつつ、
クリスティーヌの花嫁人形を作ったというマニアックぶりも恐ろしいほどに、
彼女を、女性・恋人・妻と見ようとしていたことがうかがえます。

一方、クリスティーヌは、幼なじみの青年ラウルに惹かれていましたが、
自分を影で支えてくれていたファントムにも、敬愛以上の気持ちを感じていたはずなのです。
(これ、わかる....。
相手によって、好き☆の感覚が違うの。だから、どっちがいいとかどっちが1番とか、決められないの。
...........優柔不断ですか??)
クリスティーヌへの想いを止められなくなったファントムが舞台に乱入し、
自らが脚色した舞台の1シーンで、挿入歌に託して、自分の気持ちをアピールするのです。
が、その歌詞は、あまりに情熱的で誘惑的で、.....とても恥ずかしくて書けませんので、
割愛します。(がっかりしてる方いますか??)
そのときのペンパルさんに、”私は、このシーンで女になった気がしました”と書いた覚えがありますが、
その時のファントムに対し、私は、ファントムとなら地獄に堕ちてもいい、とさえ思うほど、
ファントムに入れ込みました。
男女感を川に例えれば、ファントムとは、川の半ばで出逢ったとしたら、そのまま二人で沈んでもいい、というような感覚でしょうか。

歌詞で、ペンパルさんと話題にした箇所があります。
クリスティーヌが歌う
♪Our passion play has now,at last,begun
passion play って、どんな??
......結局、二人の前に立ちはだかる”受難劇”ということに落ち着きましたが、本当のところは、
どうなのでせう......。

そして、そんなこんなで、
ファントムが、クリスティーヌを諦めて見送るシーン。
♪You alone can make my song take flight
It's over now ,the music of the night!
その時のファントムの涙を見てください。
キラキラして、びっくりするほど綺麗です。
美しすぎて、だから、余計に哀しくなってしまうのです。
クリスティーヌは、別れながら、ファントムをずっと見ていました。
ああ、これできっとファントムは、永遠にクリスティーヌの心に住み続けるな、と思いました。

私にとって、ファントムは、絶望の象徴です。
けれど、だからこそ、たとえ私が、どん底に落ちてしまっても、
絶望の淵には、ファントムがいてくれる、と思うことで、
その絶望を受け入れられるような気さえ、することもあるのです。
 

(ハル)★“その先”について

(ハル)レビューhttp://moviessearch.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id152808/rid13/p0/s0/c0/

ネットで親しくなった男女が、本当に顔を会わせたところで終わります。
きっと、“その先”、より親しい関係になって、結婚するところまで行ってほしいな、
と願った人も多いと思います。
もし、“その先”、波乱万丈があるとすれば、鑑賞した感激の出逢いが、
別れの序曲になってしまうからです。
ふと思いました。
男女の行く末に願っているハッピーエンドは、つまるところ結婚か、と。

①『マーサの幸せレシピ』と②『幸せのレシピ』を例に挙げます。
リメイクの関係になりますが、男女のシェフのお話です。
①では、シンデレラストーリー的な幸せの形として“結婚”を見せて終わりました。
(ドイツ作品でもあり、グリム童話つながりな雰囲気も感じます。)
しかし、シェフとしての仕事は、どうなったのかは、具体的には不明でした。
特に見せていなかったということは、現状維持ということだったのか、
就業形態よりも、二人が結ばれたということのほうが大切だ
ということだったのでしょうか?
それに対して、ハリウッドリメイクの②は、
最後、男女が結婚したかどうかは見せていません。
そうでなく、二人が自分たちの店を持って、一緒に仕事していることを見せて終わります。
これは、アメリカ的な価値観かもしれません。
結婚したかどうかより、男女が共同作業をしていけるという“実質的な幸せ”を
見せていたようでした。
男女が出会った場合の究極の目標として、古風かもしれませんが、
今までの私の価値観だと、結ばれる=結婚というのが幸せの形でした。
ですから、結ばれる可能性のない“その先”には、悲壮感を感じたりしたのです。
②「幸せのレシピ」は、私が求めていた幸せの形を気付かせてくれたようでした。


ところで、
『マディソン郡の橋』にも、気になるシーンを思い出しました。
フランチェスカがロバートと一緒に行かなかったのは、
現状を壊したくない気持ちも、そうかもしれませんが、
“その先”が見えなかったからではないかと思います。
現実的に言えば、駆け落ちしても、生活苦や価値観の違いが露見して、
破局するような気がします…..。
二人が出逢ったシチュエーションの良さと、4日間という限られた時間内での幸福感が
“その先”まで、続くということは、期待できなかったからではないかと。
ロバートの車が、目の前で立ち去った……そこで終わり。
“その先”は無し。
“その先”に目をつぶることで、残るのは、“忘れがたい想い出”だけとなります。
自分自身が“その先”に行かないということは、切ないことかもしれませんが、
“その先”に行かないことによって、愛した人への思慕を永遠に失わないで済む、
ということは、あるかもしれません。

そして、私の“その先”は………..?
本当に出逢わなければ、“その先”を案じなくて済みます。
だから、逢わずにこのままで……。

このまま、続く限り、続けませんか…………(祈)?

『追憶』★余計なことを考えて

物語の結末は、数学の答えみたいにきっちり出さないで、
鑑賞者にゆだねるという、余韻たっぷりの香りが残る作品は、
見た後、いつまでも心に残りますよね。
あえて考察するのも、鑑賞後の楽しみでもあるのですが、
聞くだけ野暮(...)でもありますね(苦笑)。

『街のあかり』で、主人公の男性は、その後どうなったかを
考えているときに、ふと、高校の体育館で上映した『追憶』鑑賞後に
帰りの電車内で、友人と話したことを思い出しました。

『追憶』
ロバート・レッドフォードとバーブラ・ストライサンドの共演。
大学の反戦運動から始まった男女の物語で、結婚・離婚・再会、と話が続いたと思います。
二人が再会したとき、ロバートが、バーブラに聞くのです。

「結婚(再婚)した?」
「ええ。」

ええ、と答えているのだから、そう思えばいいのでしょうが、私は、
ひねてたのでしょうか、嘘だと思ったのです。
「ねえ、ロバートがバーブラに、結婚したか聞いたとき、バーブラが、ええって答えたけど、本当だと思う?」
「?」
「私は、本当は再婚してないと思う......。」

なぜそう思ったのか?
理由1:自分が再婚して幸せであることを、元夫に知らせることで、安心してもらって、
彼が自分と別れたことで感じているかもしれない罪悪感を、和らげたいと思う気もちから。

理由2:再婚して幸せであることを見せながら、元夫が、自分には過去の男でしかないという強がりや冷たさを見せ、彼が自分に感じていたかもしれない呪縛から、
彼を解放したい気持ちから。

では、なぜ再婚しなかったのか。
出逢いがなかった、というより、たとえどんな別れ方をしても、元夫以外に、
自分が夫と呼べる人は存在しない、と思っているから。
なぜなら、衝突や摩擦が生じて離婚したとしても、その前に、自分の感情を素直に表してきた相手だと、特別な想いを感じているから.....。

バーブラが、再婚したかしないか、本当のところはわかりません。
ただ、ほんの二言の会話なのに、
私に、二人の関係の複雑さについて想いを至らせたシーンとして、
印象に残っているのです。

プロフィール

yutake☆イヴ

Author:yutake☆イヴ
こんにちは☆
使い方がよくわかりませんがヨロシクお願いします。^^;

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