映画『長江哀歌』★修正しました~☆

映画レビューは、
http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id327798/rid51/p1/s0/c1/
ここでも、お話させてくださいね。
もしかしたら、この作品は、
「.................。」であることが、多くを語る作品なのか、とも思っていました。
しかし、私が、”ドラマ性”をわずかでも、感じることが出来た時、
私のなかで、作品が動きました。
記録を目的とした作品だそうですが、リアルなものをより、リアルに見せようとするときに、
フィクションが有効であることがあります。
(虚構をいれることで、真実がより現実味を帯びる、
とは私の好きな概念です☆)
そこに生活し、立ち退く人たちをメインにせず、サンミン、シャン2人の訪問者をメインにすることで、人が動き、過去を持つ事で時間が動き、さらにここで、2人の人生が動くというドラマになりました。
もちろん、中国の歴史や、現代の事情があるにせよ、ここでは、背景にすぎないと思ってみました。そして、そこに住む人たち~本来はその人たちをメインに描くほうが、記録映画としては現実味があるのでしょう~も、むしろ彼ら2人の後方に回っていました。しかし、その立場は、背景ではありません。彼らと、楔状に入り組んだ関係として見せているようでした。そうすることで、より、そこに生きた人が、主観的にも、客観的にも描かれ、より生き生きとするからでしょう。実際、住人と彼ら2人というコントラストは、お互いをよく引き立てていたと思います。
それだけでなく、男と女、訪問者(旅人)と居住者、壊す者と守る者(古物保存のシーンあり)、
そして、決別する者と再会を約束する者……。
もう1つ。
"虚構と現実"という、視覚的にかなりインパクトのある“対比”がありました。
しかし、UFOとか、ビル発射?には、違和感を覚えてしまいましたが、
最後の綱渡りは、虚構や幻には、見えませんでした。
サンミンの心情そのものの反映だと、強く認識したからです。
(その前の幻も、そういうことなのでしょうけど、ちょっと....(苦笑)。)
鑑賞後にジワジワ何かを感じる、というのは、恐らく、それらのいくつも重なり合った、“対比”のためではないかと思われます。観ているときには、気付かなくても、実は、多くの心情・ドラマを映像として、観ているからなのでしょうね。
