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映画『長江哀歌』★修正しました~☆

http://img4.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/d2/9f/yutake2415/folder/240693/img_240693_14143188_0?1211737344',300,322)">


映画レビューは、
http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id327798/rid51/p1/s0/c1/

ここでも、お話させてくださいね。


もしかしたら、この作品は、
「.................。」であることが、多くを語る作品なのか、とも思っていました。
しかし、私が、”ドラマ性”をわずかでも、感じることが出来た時、
私のなかで、作品が動きました。


記録を目的とした作品だそうですが、リアルなものをより、リアルに見せようとするときに、
フィクションが有効であることがあります。
(虚構をいれることで、真実がより現実味を帯びる、
とは私の好きな概念です☆)


そこに生活し、立ち退く人たちをメインにせず、サンミン、シャン2人の訪問者をメインにすることで、人が動き、過去を持つ事で時間が動き、さらにここで、2人の人生が動くというドラマになりました。

もちろん、中国の歴史や、現代の事情があるにせよ、ここでは、背景にすぎないと思ってみました。そして、そこに住む人たち~本来はその人たちをメインに描くほうが、記録映画としては現実味があるのでしょう~も、むしろ彼ら2人の後方に回っていました。しかし、その立場は、背景ではありません。彼らと、楔状に入り組んだ関係として見せているようでした。そうすることで、より、そこに生きた人が、主観的にも、客観的にも描かれ、より生き生きとするからでしょう。実際、住人と彼ら2人というコントラストは、お互いをよく引き立てていたと思います。


それだけでなく、男と女、訪問者(旅人)と居住者、壊す者と守る者(古物保存のシーンあり)、
そして、決別する者と再会を約束する者……。


もう1つ。
"虚構と現実"という、視覚的にかなりインパクトのある“対比”がありました。
しかし、UFOとか、ビル発射?には、違和感を覚えてしまいましたが、
最後の綱渡りは、虚構や幻には、見えませんでした。
サンミンの心情そのものの反映だと、強く認識したからです。
(その前の幻も、そういうことなのでしょうけど、ちょっと....(苦笑)。)


鑑賞後にジワジワ何かを感じる、というのは、恐らく、それらのいくつも重なり合った、“対比”のためではないかと思われます。観ているときには、気付かなくても、実は、多くの心情・ドラマを映像として、観ているからなのでしょうね。



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映画『エンジェル』★ゆっくり話しましょう




映画レビューにも出しましたが、
http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id327564/rid39/p0/s0/c0/


ネタバレを遠慮して、
よく言えばクールな、
悪く言えば殺風景な、レビューになってしまっていますので、
ここで、話させてくださいね。


マイペース&無作法(.....)なエンジェルのシーンは、
あくまでも、自分の思い通りにことが進む一貫のようでした。
見苦しさも手伝って、
純粋なシンデレラストーリーではないことを、匂わせるようでもありました。


一癖あるけど、それがまた、魅力にも感じる男性・画家であるエスメ。
お互いに惹かれているようでしたが、
エンジェルが、エスメが描いた肖像画を、サプライズで、
パーティのゲストに披露しようとしたとき、エスメは、逆上しました。
恥をかかせるのか、と。
アノ時点で、二人の関係は、最悪になるかと思いましたが、
エンジェルの幸運路線?で、これをきっかけに、
エンジェルが、エスメにプロポーズして、
雨の中、雨降って地固まったようになりました。


思えば、エスメは、まだ世間に受け入れられていない貧乏画家で、
売れっ子作家のエンジェルのヒモ生活ですよね。
その格差婚に、無理を感じるでしょう。
男性なら、その家にいずらくなりそうです。
他に、安らぎ、自分の居場所を探したくなるでしょうね。
自分を養っている立派な妻よりも、
自分が援助している女性にね。
たとえ、そのお金のでどころが、妻であっても、ね。


結局、エスメは、その女性が他の男と結婚したことで、
自分の居場所が、なくなってしまったこともあって、
自殺してしまったのでしょう。
従軍の怪我以上に、それが辛かったのではないでしょうか。
心の傷、心のよりどころ。
心の問題は、生きるうえで、大きなウエイトを占めます。
それが、あるから生きていける、と思っていたものが、なくなったら、
生きていけなくなるのでしょう、きっと。


それが、エンジェルにもやってきました。
エスメの真実を知ったことです。
エスメの愛人が、かつて、自分が憧れていたパラダイス屋敷のお嬢様アンジェリカだったこと。
その憧れのパラダイス屋敷を手に入れても、
結局、彼女が手にした男の心までは、自分は手に入れられなかった、
と思ったかもしれません。
彼女に、特別な羨望を感じていたならば、特に。


そして、エンジェル自身も、彼に隠していました。
流産したことを。
それは、むしろ、彼を失いたくない気持ちからでしたが、
エスメと彼女の間に子供がいることを知ったとき、
「もし、私が、赤ちゃんを産んでいたら....。」
と、思うエンジェルには、泣けてきます。
不謹慎な言い方になりますが、愛する人をつなぎとめるものとしても、
子供の存在は、大きいのでしょう。
子はかすがい、とは言い得て妙です。
現実を見る気がします......。


エスメの死後、彼の絵を世に出そうと思っていたエンジェルが、
彼あての、愛人の手紙を発見したために、
それをやめてしまうのは、仕返し、と言えば仕返しですが、
実は、それは、すでにこの世にいないエスメにとっては、
どうでもいいことになっている、というのが皮肉にも思えます。

どんなに、どうしようと、
エンジェルには、自分が彼を愛していたことが、
空回りな寂しさしか、残っていないようでした。
日に日に弱っていくなかで、
彼女が、最後に発した、自分自身の名前。


夢を叶えた現実のなかで、
目に見えたものが、真実ではなかったとしたら、
最後に、信じられるのは、自分だけ、ということでしょうか?
アイデンティティを、確かめるように、
あるいは、
すがりつくように、
自分の名を、叫びました。


エンジェル
それは、彼女が、最期に叫んだ自分の名前。
自分の生き方が、良かったのか悪かったのか、誰にもわかりませんが、
とにかく、自分は、こう生きた。
こう生きてしまった.......。


.タイトル『エンジェル』の意味するところは
最期に自分の名を呼ぶしかなかった、悲しさかもしれません。



テーマ : 洋画
ジャンル : 映画

ヒースよ.....思い出語りましょう

http://img4.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/d2/9f/yutake2415/folder/240693/img_240693_13933636_0?1211737310',400,651)">


ウソでしょー!!
突然の訃報に驚きました.....。

ヒース・レジャー

彼が、この世を去るなんて.......。


ファンの皆様には、お悔やみを申し上げますとともに、
日が経ったので、落ち着きながら、
私も、ポツポツ思い出を語りましょうね。


私が、人にヒースを説明するときに、まず使っていた語句は、
”大味”でした。
作品で感じた第一印象です。
どこか、荒削りで、ちょっと薄味だけど、アクが強くないことが、
存在感の薄さになっているわけでなく、
淡い色合いだけど、輪郭ははっきりしているという、不思議な魅力を感じていました。


「パトリオット」
メル・ギブソンの長男役でしたか?
子供たちの一人という目で、まだ見ていましたが、
淡すぎず、濃すぎず、ヒースの存在感の良さを感じました。


「ロック・ユー」
平民が貴族のふりをして、槍試合にでました。
平民の粗野と、貴族の品の良さ。
ヒースは、両方持っているように思えました。


「チョコレート」
これも、”息子”という立場の役でした。
繊細な青年を、ヒースは好演しました。


「サハラに舞う羽根」
これは、かなり期待して観た作品でしたが、今ひとつ印象がうすいと思ってしまった作品でした。
題材は、ドラマチックでよかったのですけど。
盲目になった友人が、触れた手で恩人を知る......ここは、もっと感動させてほしかった、
などと思うと、ヒースを観ようと思って観た作品だったので、
惜しいな、と思ってしまいます。


「ブロークバック・マウンテン」
ヒースの名を不動のものにした作品と言えますね。
でも、
作品が大きくて、私には、受け止め切れなかったです.....。

映画レビューしてました
http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id323840/rid147/p0/s0/c0/



「カサノバ」
色事師のイメージを、いい意味で裏切ったヒースでした。
色気不足かと懸念していましたが、ヒースが濃すぎないのが功を奏して、
好感の持てるカサノバを見せてくれました。

映画レビューしてました
http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id324579/rid4/p0/s0/c0/



当初は、”大味”なんて思っていましたが、段々、アレ!?と思うほど、
”いい味”が出てきて、期待していました。
まだ、20代だったのでしょう.....。
本当に、残念ですね。


まだ、観ていない作品も、観ましょうね。


私のお勧めは、今のところ、「カサノバ」です。
本当に、観てよかった~と思った作品でした。

ヒース...。
どうぞ、安らかに...。

映画『スウィニー・トッド』☆ネタバレ上等で話したい!

http://img4.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/d2/9f/yutake2415/folder/240693/img_240693_13710045_0?1211737290',350,405)">


映画レビューでは、ネタバレへの遠慮もあって、十分に話せなかったので、
ここでおしゃべりさせてくださいね。

ちなみに、映画レビューは、ポイントのみですが.......
http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id328546/rid204/p0/s0/c0/
 
 
判事が、トッドの妻へ横恋慕したせいで、無実の罪を着せられ、
妻と娘と引き離された理髪師ベンジャミン。
彼は、生環してスウィニー・トッドと名を変えて、理髪店を持ちました。
自分と家族の幸せを奪った者たちへの復讐心に燃えて………。
 
彼が、不幸な男から、恐怖の男となってしまったのは、
最初の復讐の機会を逃してしまった腹いせから、一般の人へ、
狂気を向けていってしまったからなのでしょう。
関係の無い人を、通り魔的に、あやめてしまうことは、言い訳の余地はありませんが、
ストーリーとしてみると、
その死体を、部屋を貸してくれたパイ食堂の女のために、原料として使う、というのは、
猟奇的なのに、人肉を“廃品利用”的な扱いにして、生きるためのしたたかさを、
見せているようでもあり、手工業的な、その流れ作業は、殺伐としながら
ブラックユーモアにも見えてきます。
 
怒りに燃えた彼を見ると、せめて、仇をとらせてあげたい、
と想いながら観てしまうのですが、やはり、教訓が、最後にありました。
私は、作品に対し、教訓はあっても、あまり優等生的な説教を、
作品からは感じたくなくて、鑑賞後の読後感に、“説教”を聞いたような感覚を
残したくないというのが、本音です。
それは、自分自身が、一段高いところから、人を批判するような見方をしたくない、
ということでもあります。
彼は、悪いことをしたのだからこうなった、という自業自得で、
片付けたくはないというのが、私の感想です。
 
彼は、悪人というより、”愚かな男”としてみたほうが、
情に迫って、見られると思いました。
それは、冒頭でも言っています。彼の冤罪は、”愚か”であることだと。
家族を妻を愛するがゆえに、復讐に目を曇らせてしまったトッド。
それゆえ、彼は、切望していた幸せのやり直し、それがすぐそこにあったのに、
気付くことが出来ませんでした。
姿を変えて、生きのびていた妻に気付くことが出来なかった.....。
この作品の教訓を見つけるなら、悪事と自業自得ではなく、
むしろ、そちらを教訓としたいところです。
冷静さを失った瞳には、本当に望んだものが見えなくなる、ということを。
 
そうしてみると、この作品は、残酷シーンはありますが、
いわゆる怖いもの見せたさの作品とは一線を画すると想います。
むしろ、その残酷シーンがトッドの愚かさ、虚しさを際立たせた効果になっている、
とも思えます。
 
自分が殺したその死体が、再び逢いたいと願っていた妻だったと知ったトッド。
そのシーンの凝縮のために、その前があったといっても過言ではないでしょう。
そして、
そのやるせない哀愁を魅せるために、ジョニーは打ってつけの役者です。
彼は、哀歓を皮膚から、滲み出させることが出来る役者です。
このシーンで、ジョニーが、トッドを演じた理由がわかった気がしました。
 
そして、妻の遺体を抱きながら、少年に首をかき切られるトッドですが、
レビューでは、彼は、すでに痛みを感じていなかっただろうと書きました。
妻を死なせてしまったという最高の痛みを、すでに、トッドは感じていたからと。
解釈によっては、自分の罪を受け入れて云々、ということもありましょうが、
”受容”と言う作業には、時間が必要です。
あのとき、彼は、茫然自失であったとすると、冷静に、自分の罪を受け入れるどころか、
悔恨さえ感じられなかったかもしれません。
ただ、ただ、妻を死なせたショックがあるのみだったのではないかと........。

ともあれ、意外な顛末は、この作品がヒットミュージカルであることをわからせてくれたようです。


ところで、青年アンソニー。
彼は、いい男ですね。
ルックスもですが(笑)、想いを寄せた彼女へのひたむきな真心と行動力。
恋にひるまない姿勢は、最高です!!
きっと、若い二人は幸せになってくれると、信じましたよ!
 



映画『題名のない子守唄』☆ありがとう、トルナトーレ監督………

328134_06_01_01_02.jpg



作品について https://www.allcinema.net/cinema/328134
↑あらすじ・クレジットはこちらを参照してください。

(ヤフー映画のほぼ転記です)

「過去を捨てたくても、過去が自分を放さない 。
私のような女でも、未来はあると想っていたのに。」

過去から逃れようとすればするほど、未来が消えていくようなイレーヌ。
彼女の過去の残酷さは、
冒頭から、見るものに印象づかせ、
時折、記憶として、断片的に挿入される映像が、助長していった。

彼女に何があったのか?
何から逃げ、何に怯えているのか?
そして、彼女は、どうしようとしているのか?

モリコーネの音楽が、不可解さ、不安定さをさらに増し、
観る者を、彼女に釘付けにさせていく。


▼~▼内容にふれて雑談です。(ネタバレ!)
▼▼▼

やがて、家政婦としてもぐりこんだ家で、
怪しい行動をとる彼女すら、守りたくなってくる。
その家の娘テアに、特別の目を向ける彼女の表情が、
母親のそれだと気付くからだ。

イレーヌは、その女性性を、暴行・陵辱・蹂躙されるだけでなく、
孕んだ子を売られるという
母性への冒涜を背負わされた過去を持っていた。

そんな生活から逃げるために、殺しそこなった男“黒かび”に怯えながら、
最後に、産んだ娘を探し当てたのだ。

その娘は、彼女が愛し、殺された男とのあいだに出来た子供だった。
娘が、生存本能が弱いと知るや
虐待とも取れる方法で、“鍛える”シーンは、凄まじい。
(この子が、一人でも強くたくましく生き抜いてほしい。
女は、泣かされるだけではだめよ。)
右の頬を打たれて、左の頬を出しているようでは、
女が一人で生き抜くことは、できないことを
身を持って知っているイレ―ヌだからこその愛情なのだと想った。
(サリバン先生の、ヘレン・ケラーへの“体当たり的指導”を、思い出します。)

しかし、その家の家政婦の職がほしいからと、イレーヌが、
友人である家政婦ジーナに、わざと重傷を負わせた罪は、
イレーヌの地獄にいた男“黒かび”を殺した罪よりも、重いだろう。

彼女に、残酷な過去の十字架だけでなく、
そのような罪と良心の呵責という十字架まで
背負わせてみせるとは、なんという展開か………。

さらに続く。

実子と信じていたテアは、実の子ではなかったとわかる。
泣き崩れるイレーヌ。
彼女は、最愛の人の娘を探し当てたと信じ、
その娘と一緒にいるために、画策し
そのために巻き込まれて、命を落とした人もいるのに……
実の子と思えばこそ、そこに、
ないと思った未来を感じられたのに………………

では、
テアが実の娘でなければ、イレーヌに希望はないのか?

いや、彼女は、テアに
自分が産んで行方しれずの9人の子供の姿をきっと、重ねて観ていたと思う。
イレーヌが、テアに歌った子守唄は、
出産後、自分で抱くこともなかった子供たち
すべてに、聞かせていたと思うからだ。
乳が張って痛んだ胸の痛みは
そのまま、子供たちを案じる胸の痛みであったはずだから……
たとえ、父親がわからない子を産まされても、
その子たちを産んだ自分は、その子たちの母親なのだから………

結局、
“黒かび”殺しの罪に問われ、イレーヌは、刑に服することになってしまった。
まだ、もっとこれ以上の仕打ちが、待っているのだろうか…?
彼女をどうしたい?
私に、何を見せたい?トルナトーレ!


………何年か経ち、イレーヌが出所した。
誰もいないはずのそこで、彼女の目に映ったのは、
一人の若い娘。
イレーヌを見て微笑んだのは、成人したテアとわかる。
作品は、そこで終わったが
私は、抑えたものがはずれたように、涙があふれた。

ああ、やはり、テアは、彼女の娘だった、と。
血のつながりはなくても、テアは、
まぎれもなく、イレーヌの希望であり、未来であり、命である
彼女の子供なのだと……
ありがとう、トルナトーレ……
災いだらけの、イレーヌのパンドラの箱にも、
最後に、希望を残してくれて……

▼▼▼

凄惨な過去を持つ女という設定は、描写を比較的抑え、
”断片的な背景”として見せたのは、よかった。
もちろん、彼女が、いかに悲惨かを知ることも重要だが、
ここでは、悲惨の程度以上に、そこから、這い出すように、
ささやかな希望を探る彼女のほうに
光を当てたいからだ。

女性性を、踏みにじられてきた“一人の名も無き女(原題)”は、
最後に、“一人の母”となり、
ないと思った、光明を見出した.........

ありがとう、トルナトーレ監督………




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映画『青い棘』★一生、忘れられない絶頂を享受できるなら

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作品について http://cinema.pia.co.jp/title/13959/
↑あらすじ・配役はこちらを参照ください。


以下ヤフーレビューの転記です。(ネタバレ表示)



高校の寮生パウルとギュンターは、自殺クラブを作った。
愛が消えた瞬間に死を選び、愛を奪った者を道連れにすると誓う。

夜の森でのパーティ 
陽の差さない、暗がりの部屋での会話
命が輝かしい青年たちにとっては、それが憧れのような闇が、
終始、画面全体を覆っている。

そのような中、
めずらしく、日差しが明るくまぶしいシーンがある。
そのまばゆさとは、裏腹に、
ギュンターは、パウルに言う。
「恋はつかの間に過ぎていく。真の幸せはおそらく一生に一度。
その後は、幸福の瞬間を一生、忘れられない罰が待っている。
だから、自分が一番幸せなときに、絶頂のときに、人生に別れを告げるのだ。」
そして、
ギュンターは、妹の彼氏でもある、“恋人”のハンスを殺し、自殺する。
ギュンターのもろそうな繊細さは、ギラギラしたナイフの鋭さにも見えた。

これは、実話に基づいていると言う。
若い日、自分が健やかなときは、死が遠いものに感じ、
強靭なからだには、堕落と退廃も、受け入れられる。
そして、それは、むしろ憧れであることもある。
時には、それが“死”であっても。
“幸福の絶頂”と並べられるほど、輝かしいものである“死”。
だから、死を選ぶこともできる。
死が、襲いかかるものでもなく、逃れられないものでもなく、
青い彼には、死は、自らが選ぶことのできる、選択肢の1つですらあった。
“幸福の瞬間を、一生、忘れられない罰から逃れるため”というだけで、
選ぶことができてしまう“死”…。

若い彼らの知る“絶頂”が、どれほどのものかは、わからない。
青い炎が、いつかもっと真っ赤に燃え盛ることを、
予想も期待もせず、彼は死を選んだ。
今、目の前にある思慕こそがすべて、と早すぎる結論を残して…………

……………………などと、
若者を前に、分別のあるふりをすることは、やめよう…。
恋の激情は、年代や時を選ばない。
たとえ、老いらくの恋であっても、
それが”絶頂“と思えば、それ以上の命がなくてもいいと想うことさえ、あるだろう。

だから、彼らを冷静に見られない。
若い日の過ちと、やり過ごせない。
“幸せの絶頂“を失いたくないのは、若い日の特権ではない。
いくつになっても、命と同じように、いやそれ以上に、失いたくない想いがある。
その人がいなければ、生きていけない、と。
その人がいなければ、生きている甲斐がない、と……
その人を、一生、失いたくない…
いくつになっても、
恋の棘は、刺されば、胸に痛い………………………

ラストで、
駄目押しのようなギュンターの台詞がある。
「後悔は、していない。」
では、このまま、彼の自他殺を肯定するように、
この作品は、終わってしまうのか…??

しかし、エンドロール。
長く続く道を、ギュンターは、パウルと自転車で戯れている。
それは、明るく晴れた日の青春の1ページ。
無邪気なギュンターが、子供に見えた。
大人びた彼は、わかっているようで、
本当は、まだ何もわかっていない少年ではないか、と……。
まっすぐに続くこの道が、彼の人生ならば、
このように明るい日差しを、きっと、彼も、受けていたはずだ。
なのに、なぜ、わからなかった?
なぜ、それに気付かなかった?
彼には、彼の人生には、きっと、光が注がれていたはずなのに……
あるいは、
そのまぶしさに、かえって目がくらみ、残像のような暗点を
心の闇と同化させてしまったのか………………???
自ら、命を闇に葬ってしまった、ギュンターよ……
“幸せの絶頂”を語るには、まだ、若すぎたギュンターよ…………………

…………ギュンターを悼みながら、想った。
私の残された道には、もう、日が照らされることはなくても、
恋の棘の痛みに耐えて、
一生忘れられないほどの“幸福の絶頂”を享受できるなら、
それは、むしろ憧れかもしれない、と。
そのあとに、忘れられないということが、苦しみになったとしても、
私は、生きて、その苦しみをも、享受したいと想った。

私も、人生のラストで、
「後悔は、していない。」
そう、言える様でありたいから………


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映画『スマイル~聖夜の奇跡~』★ラストの短いシーンに余計なこと思って

http://img4.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/d2/9f/yutake2415/folder/240693/img_240693_12383120_0?1211737232',82,116)">


アイスホッケーを題材にした映画『スマイル~聖夜の奇跡~』が公開になりました。


スポーツを題材にして、子供を中心に置いている作品は、
往々にして、いい意味で、目指す話の先にブレがなくて、
私は、好きなジャンルです。
”奇跡”とサブタイトルがついていますから、
弱小チームが勝つんでしょ、と言ってしまえばそれまでですが、
現実問題としても、どのチームにも、試合までの道のりにドラマがあって、
試合展開そのものは、副次的かもしれません。
それでも、スマイラーズを応援しながら観ている試合に、ハラハラしてしまいます。
マンガチックなコメディな中にも、ベタすぎると思う悲劇がありますが、
似たような悲劇は、現実にも耳にすることを思えば、
あながち、作られすぎ、ともいえない”奇跡”の明暗は、
作品の巾、と言うことで、展開としては、良かったのではないかと思います。



ラストシーン。

大人になった昌也が、出逢った女性に、運命を感じているようでしたが、
私は、そこに、複雑な気持ちにさせられました。
短いシーンですが....
(ネタバレならごめんなさい)


いつまでも、亡くなった人のことを思い続けても、生き残った人の未来は、ないのかもしれません。
かつて、昌也は、亡き母との接点であったオルゴールを、
れいなに、プレゼントすることで、
形の上で、亡き母に別れを告げ、養父母を、親としてあらたに受け入れる、という
経験をしました。
そして、
れいなの生まれ変わりのような女性に逢って、作品は、終わります。

生き残った人は、過去の人を捨てて、未来を生きなさい、ということなのでしょうね。
それは、希望的に、理屈的に、ふさわしい選択であり、
私も、人に、そのような生き方・道を勧めると思います。
しかし、心情的に、
自分が、誰かの過去の人になってしまうことを考えると、
それは、すごく寂しいことです。
(私を忘れて、あなたは、別の人と、幸せな未来を生きてね。)
この世に残す愛する人に、そのように思いながら、旅立てるほど、
私は、人間ができていないのだと想いますが....。
昌也の場合は、子供の頃の淡い思い出ですから、深刻な問題ではないようですが、
別の見方をすると、
その出逢った相手を、そのとき、誰かの”生まれ変わり”、と思って
親しみや運命を感じたとしても、
”生まれ変わり”という感覚は、できるだけ早くなくさなければなりませんね。
本当のその人を、見つけるために、ね....。



以上は、
作品の支流にもならない、余計なことですが、
本流は、
モチベーションを上げて、コトに当たれば、きっと結果はついてくる!
........かもしれない、ということで....☆☆☆。



テーマ : 邦画
ジャンル : 映画

映画『茶々~天涯の貴妃~』☆女の強さ・女の弱さ

映画レビューはネタバレ表示です。
http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id329145/rid38/p0/s0/c0/



作品について  http://cinema.pia.co.jp/title/19818/
↑あらすじ・クレジットはこちらを参照してください。

茶々についての雑感です。
(作品をあまり悪くいいたくないので.........)

映画の中の茶々像にこだわりませんが、私は、彼女には、
プライドを捨てなかったために、身を滅ぼした女
という、イメージを持っています。
いわゆる史実と映画作品は、異なっている、とレビューでは、書きましたが、
これには、多少の抵抗が、あります。
と、いうのは、現在、これが正史と言われていることであっても、
後世、異なる事象が発見されることもありえますし、
人物像に至っては、結局は、各自の推測に過ぎないからです。
記録があったとしても、著者の主観が入りますし、
事実が書かれている、との確証が、必ずしもあるわけでは、ありません。
ですから、私が、彼女に“強さ”を感じることは、実際の彼女とは、
まったく異なっているかもしれません。
あくまでも、私のイメージということで、御了承くださいませ。


彼女の“女が持ちうる強さ”を、想う時、
現実世界で、私が出会ってきた女性たちの“強さも”
当然、重なります。
それが、いい意味での強さであればいいですが、
女性を“強い”と形容する場合、男性から見た、可愛い気の無さも、ありましょう。
いい意味の、というのは、やはり女が母として、子供を育て守るために、持つ”強さ”でしょう。
子を守る“母の強さ”の前に、“女の弱さ”を隠すか捨てるか、することも多々あるでしょう。


適切な言葉が、見つかりませんが、
私を、もし、“その立場にいる女”とした場合、
私は、自分の強さだけを頼りに、進んでは行かれないと想います。
(そうも言っては、いられないとしても…..)


女性としての弱さに甘える訳ではありませんが、
自分が、前面に立たなければならない強さなど、持つ必要のない状態でいたい、と想ってしまいます。
(甘えてますね….。)


茶々は、秀吉が長命であったら、自分のプライドを試される状況には、
逢わなかったと想うのです。
紆余曲折はあっても、子供がいるところが、自分の身の置き所=家(城)を得たわけですから。
子供の成長を見守りながら、秀吉に守られながら、
比較的、心穏やかに暮らせたと想います。


ところが、茶々は、
自分だけでなく、城も息子も、失う結果になってしまいました。
家康は、いずれ豊臣を滅ぼす心積もりであったとしても、
茶々の出方で、変わりうる可能性はあったと想います。
彼女も、時代をうかがって生き抜いてきたのですから、
もっと利口に立ち回れたはずではないかと、想うのです。
子供を、秀頼を守る事を、何よりも優先しなければならなかったと想いますよ。
私は、この事例から、知らず、自分の中に、下手なプライドというものがあるのなら、
戒めにしなければ、と想っています。
確かに、プライドは、自分を律するものでもありましょうが、
自分だけでなく、守るべきものをも滅ぼしてしまうものだ、との教訓にしています。


ただ、「もう、傷ついている」にも書きましたが、
いくらコイツを攻撃しても壊れない、と想われるような虚勢で、
身構えて、戦っているようなときには、
カラ元気的なプライドで、どうにか立っているような時も、ありますよ……。
(あるでしょ?)


私は、強くなりたい、とは想っていません。
強くなる必要のない、優しさのなかで甘えて生きたいですよ。
だから、もしかしたら、きっと茶々も、
強さを誇示する必要のない生き方を、本当は、したかったのではないかしら、と想うと、
気の毒に思えてしまうのです。
彼女だって、“女の弱さ”に、甘えたかったかもしれない、と、ね……。



テーマ : 邦画
ジャンル : 映画

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