映画『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』★私のたどり着いたところ

映画レビューしました。
http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id323650/rid50/p0/s0/c0/
公開されると知ったときから、楽しみにしていました。
やっと、観ることができました。
死体を運んで埋葬の旅に出る、というあらすじから、興味を持っていました。
それだけからすると、不気味ですよね。
あらすじとタイトルから、その死体は、埋葬をやりなおす=掘り起こす、と言っているのですから。
なぜ、私が興味を持ったのか?
それは、死を扱う題材だったからです。
それと、トミー・リー・ジョーンズが監督ということ。
死を扱う、と題材は、哲学的には、究極のその人の価値観が出ると思うからです。
それは、死についてだけでなく、同時に、生についても語ることでもあるからです。
心して作っているはずでしょう?
ジョーンズを個人的には、知りませんが、彼から感じる人間味は、きっと期待を裏切らないと
思っていました。
投稿した映画レビューには、物語から私が感じた感想文を書いていますが、
アメリカ・メキシコ国境では、物語でなく、”日常的な光景”があって、それを舞台としているということに、作品の重さを感じます。
陸続きで、国と境していない日本人の感覚では、わかりきれない部分もあるでしょう。
その分、ピンと来ないといえば、ピンと来ないかもしれないし、
つまらない、と言えば、つまらない作品かもしれません。
私が、観終わって、思わず、つぶやいたことは、
「間違っても、人を殺したら、償いきれるものではない.....。」
でした。
当たり前のことですが、目の前に、自分が殺してしまった腐乱死体を目の前にして
謝り続けるピートを観たとき、取り返しがつかない、とはこういうことなのだ、
と、胸に刻まれる想いがしたのです。
自殺・他殺とわず、日々、命をまっとうしていない事件を耳にします。
死んではいけない、殺してはいけない、
そんなことはわかっているはずなのに.....。
死ほど、取り返しのつかないことは、ないでしょう。
当たリ前であったとしても、わかっていなかったかもしれない私に、
”死”と”生”について、あらためて教えてくれた、作品となったのでした。
