映画『夏時間の庭』★”価値”と”残る”こと
作品について http://cinema.pia.co.jp/title/26054/
https://www.allcinema.net/cinema/333054
↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。
2008年。フランス。オルセー美術館開館20周年記念作品。
多くの美術品コレクションを持つ、パリ郊外の、広い庭を持つ家。
大叔父の住まいでもあったその家に、母は、暮らしていたが
自分の死後、3人の子供たちには、
美術品は、美術館に寄贈するように、言い遺す.......。
まず、”価値”について、思ってみました。
自分が大切に思うものでも、
人にはガラクタでしかないことはよくありそうです。
なぜか、といえば、
”それ自身の価値”を知るかどうか(この定義も難しいですが)もあれば
思い出のような、心的付加価値があるかどうか、にあるように思います。
”それ自身の価値”に関して、
オルセー美術館関係者のセリフが、驚きでした
「アールヌーボーの作品の多くは、同じ運命をたどる。
ほとんどは、その希少さによる価値のみになり、倉庫で眠る」と。
希少価値も、確かに価値の1つだと思いますが、1点もの、というだけでは
それほど重要視されない、という現実..............。
著名な作家の花器や家具。
これも、美術館では手も触れられずに展示されますが、
本来、そのようなものは、使われてこその価値なんですよね。
花器だけ飾るのも、部屋が明るくなりますが、花を生けてこそ
花器も張り合いがあるってものですよね。
大切な人が大切にしていたからこその、自分の宝物も
大切な人も自分も亡くなったあとでは、
その宝物も、ただの無機的な”物”でしかないのでしょう。
もし、ぞんざいに扱われるなら、
処分されたほうがいいかもしれません....................。
でも、
自分を愛し、懐かしんでくれる人がいるなら、
やはり、大切に残してほしい、と思うのも人情です。
次に”残る(す)”ということについて。
思い出や手紙や、残しておきたいものは、あります。
時間が経っても、それに触れることで
そのときの時間に、自分を帰してくれます。
しかし、”残る(す)”ことの残酷さをも、体験することがあります。
いくら、その物がそこにあっても、
あるのは、その”物”だけだから。
それを贈ってくれた人も,そこにいないし
込められた心も言葉も、もうそこには存在しないと感じたとき
ある意味、その”物”は、抜け殻でしかないのです............。
捨てることも必要なのかな.......。
作品は、残すことの有無や是非についても問いかけてくるようでした。
自分にとって大切なもの、宝物
遺したいもの、処分してほしいもの................。
あの世には持っていかれない自分の愛用品について、
考えさせられた作品でした。
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