作品について
http://cinema.pia.co.jp/title/1726/↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。
四半世紀以上も前、大学の上映会のスクリーンで観て以来、2度目の鑑賞。
尊敬するレビュアーさんが、スカーレットについて述べておられたのがきっかけです。
当時も思うところあったはずですが、想いを新たにしました。
(小説とは若干、異なっているので、映画のストーリーでの雑感です。)
南北戦争の頃。
南部で、黒人奴隷を従えて、白人貴族として生活していたアイルランド系オハラ家の長女スカーレットの半生です。彼女は、友人のメラニーの夫アシュレーをずっと想いつづけながらも、実家のため、自分のため
3度の結婚をします。最後の夫が、あのレット・バトラー……。この物語は、スカーレットのドラマチックな半生を見ながら、
一人の女の愛の物語やら生き様やら、当時の、そのアメリカの価値観などなど
ブ厚い叙事詩となっていて、私が、ひとことで、書きつくせるものではありませぬが^^;
内容にふれて、ちょっと、述べてみます。
①緑色のドレス緑のカーテンで作ったドレスが、印象的です。
以前、大画面で見たときには、すごく強烈に思えた緑でした。
そのほかにも、スカーレットは緑色を利かせたドレスを着ていたように思えます。
彼女の父は、アイルランド系なので、アイルランドゆかりの緑を、多用したのかもしれません。
それだけ、アイルランド人ということを強調したかったのでしょう。
アイルランド人と言うことは、私には、人種の1つとしてしかピンときていなかったのですが
アイルランド系であることは、アメリカにあっては、白人であっても、差別を受けていた立場であった
とすれば、スカーレットの性格の強さは、ただ、気の強いお嬢さん、というわけでなく
民族の運命を背負わせていたのかな~とも思えてきます。②古きよき時代~~と言うのですが…….原作者ミッチェルさんの代弁なのだとも思いますが、南北戦争前の、南部に奴隷制度があった時代を
“古き良き時代”と冒頭で、形容していました。
黒人の方からすれば、悪しき時代ですよね。反発もあるでしょう……。
そういうことを含めて、立場の違いで、何事も良し悪しが決まるとしたら、ここは
アイルランド系女子の立場(ミッチェルさん&スカーレット)で、観るんだな、ということなんでしょう。③タラのテーマ物語の最後に、スカーレットに残されたものは、タラの土地。
あの有名なテーマ曲が、“タラのテーマ”というくらいですから^^;
以前は、ただ、舞台になっている場所の名前がついているんだ、くらいにしか思っていませんでしたが^^;
スカーレットの父が言う、アイルランド人(移民)としての、土地への強い想い(執着と言っていい)が
彼女たちの軸足になっている……。
こうしてみると、まずは、アイルランド~アイルランド~ということを踏まえて、
スカーレットの立ち位置が決まっていたんだなと、感じました。
とにかく、強くて熱い、スカーレットですが、強い女子が思われがちな
“まあ~彼女は強いから、放っておいても大丈夫だよ”とだけは、思いたくないのです。
強い女子こそ、見かけ倒し。
本当は、すごく誰かに(男性です)甘えたいのですよ…………たぶん……
本当は、折れそうに弱い自分を知っているのですよ……………たぶん………↓そして
④レットへの想い端的に言えば、だからこそ!
流産したときにうわごとのように言った 「レット~レット~」が、胸に刺さるのですよね………
あれは、彼女の弱さのチラ見せではなくて、彼女の本当の姿だったと、思います。
その前に、彼女は、カワイイところを、見せていますよね。
これは、さらっとしつつも、意味シンで濃厚な!?シーンだと思うのですが^^;
いつまでも、アシュレーアシュレー言っているスカーレットに業を煮やしたレットが
酔った勢いで、彼女をお姫様抱っこで、自分の部屋に連れていった“宴のあと”ともいえる
翌朝のシーンです。
(これは、シーンとしても、ヤボでなく、くどくない、いい演出だと思いマス。
勘の良い方は、わかると思いマス。(照)
何があったかよくわからないよォ~という、カマトト(?)な方も、ご覧になればわかるハズです。^^;)
そんなことのあった翌朝の彼女の、爽やかで機嫌の良いコト、良いコト(*^_^*)。
大っ嫌いな人に、たぶん、あんなコトをされたら、あのような朝は迎えていないはずです。
雨降って地固まりそう☆と思うのです。
けれど、すれ違いは、そんな朝にも起こる。
レットは、酔って、そんな行動をとったことを恥じてしまうのです……………。
あやまってほしくない、というときがあります。
え?なんで、あやまるの?あやまらないで……と思うときが。
私には嬉しかったことが、あなたには悦びではなくて、過ちだったのかと………………………………………..
そして、授かった2人目の赤ちゃん。
子はかすがいと言いますが、2人のもめごとのなか、階段から落ちたスカーレットが流産してしまいます。
声にしたのは、アシュレーでなく夫であるレット。
でも、それを彼に伝えることはできなかったのは、彼女が、もういいわと、自らの求めの火を消してしまったから……
レットは、自分は、スカーレットに、本当は求められていることを知らぬまま
自分は、彼女には不要なのだと思い込んでしまう、というズレが、じれったくも哀しい。
スカーレットの緑色のドレスが目立つなか、レットとの生活では
違う色~特に赤~が、目を引きました。
レットが選んで着せた赤のドレスは、多分、レットの情熱の色。俺の色に染まれ!と言わんばかりの。
そんな対比も面白く、二人のズレが、どうか縮まってほしいと思うのですが……⑤レットへの甘えor期待南部の白人貴族たちのほとんどは、白人至上主義のKKKのメンバーだったらしいですが
レットは違っていたようで、それも含めて、ほかとは違う人という魅力を醸し出しています。
自分というものを、はっきり持っていて、長いものにも巻かれない。
そんな彼が、唯一、巻かれたい、巻かずにはいられなかった女性がスカーレット。
私も、お似合いだと思います。
お互いじゃないと、誰も、あの2人は御せませんよ。
うまくかみ合えば、本当に、ジャストフィットだと思いましたのに……。
最後の最後で、レットは、スカーレットを捨ててしまった……orz
いくら、懐の深い男性でも、仏の顔も3度だよ、というのはわかります。
でもでも、レットには、大きな袋を持っててほしかったな~と思うのは都合がいいですか?
ここぞというところで、目が覚めた女を、もう手に負えないと捨てるのは、残念であります。
甘えすぎなのはわかっていますが、レット!あなたの器はそんななんじゃないだろう!と思いたいのは
捨てられるスカーレットに、自分を見るようだから……(T_T)⑥明日がある女♪冒頭から、「明日のことはわからないわ」とか「明日、考えよう」とか
スカーレットの明日を意識させながら、ついに、ラストシーンの明日ムードがやってきます。
レットが去ってしまったあとのスカーレットは、諦めて、絶望に朽ちる女ではありません。
なんとか彼を取り戻そう、と思うのです。
そのために、わが土地タラに戻り、彼を取り戻す手立てを考えようと。
タラに戻るのは、結局は、レットを取り戻すためだと。
そして、「明日は明日の風が吹く」と言って終わる………….はずでしたが
今回、観た字幕は違っていました。
「After all, tomorrow is another day」 明日と言う日がある(~だったかしら)
今日、レットに捨てられても、明日は別の日。レットを奪取すべき日々の始まりだわと、言ってもいいかも。
ですので、話は、別離で終わっても、私も、あきらめが悪いせいか^^;
きっと、スカーレットは、レットといつかよりを戻せるのではないか、との希望を持ちますよ。
レットも、あれだけ、スカーレットを愛していたのなら
本当に忘れられるはずがないと思います。
腐れ縁と言う言葉が、2人には似つかわしいとしたら、きっと、近い将来、
偶然(←やらせアリ^^;)出逢って、やけぼっくいに火がつきますって。☆:;;;;;;:*☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;:*☆*:;;;;;:*☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;;:☆
民族の問題は、実感としてわかりにくい面があったとは思いますが
スペクタクルとして、叙事詩として、
いつの世でも変わらぬ男女の愛憎・出逢い・すれ違い・別れ……が
壮大なドラマとして、面白い作品だと思います。
いつでも、希望と強さと明日がある女 スカーレットになりたいと思わなくても^^;
明日のある自分でいられたらいいナ~と思います。