映画『終電車』★埋没から浮上へ、そして、希望へ

作品について https://www.allcinema.net/cinema/10569
↑あらすじ・クレジットはこちらを参照してください。
(ヤフーレビューのほぼ転記です)
男が、女の手を見て言う。
「君の中には、二人の女がいる。」
≪舞台≫ナチスドイツ占領下のパリ。とある劇場。
≪人物≫
・ ルカ~劇場主で演出家。ユダヤ人。
ナチスから逃れ、亡命を装うも、劇場の地下に潜み、通気口を通して、舞台の様子をうかがう。
・マリオン~ルカの妻で女優。
・ベルナール~新規採用の俳優で、マリオンの相手役。密かにレジスタンス活動する。
この作品には、まず、隠れ潜む、”埋没“を感じる。
タイトルの『終電車』さえ、物語の前面に出ない。
ルカは地下に隠れ、ベルナールは、秘密裏に活動する。
そして、マリオンは…
▼~▼内容にふれて雑談です。 (ネタバレ)
▼▼▼
「ベルナール、妻は、君にぞっこんだ。」
ほとんどの人が、ルカのこの台詞まで
妻が、相手役の男に惹かれていたとは、気づかないだろう。
なぜなら、作品が、それを見せないからだ。
“二人の男を愛した女”(あらすじの1文)から、
想像されるような心の揺れすら
微塵も、マリオンに演じさせない。
では、なぜ夫はわかったのか?
夫は、通気口から聴く、二人の演技しか知らない。
マリオンは女優だ。
役を演じていた妻の中に、役を超えた妻の気持ちを、
見つけてしまったのか。
夫として、妻という女を知ればこそ、そこに、自分の知らない、
“もう一人の女”を、感じたのか。
では、なぜ、マリオンはベルナールに惹かれたのか?
夫を慕い、尽くしていたのに?いや、これは、逆説かもしれない。
夫をかくまい、尽くせば尽くすほど、責任や使命が先立ち、
安らぎは薄れる。
上演初日。
夫の緊張を和らげようと、気楽にふるまってみせたマリオンは、
夫のいないところでは、嘔吐していた。
相当なストレスに、さらされていることがわかる。
心は、あえて、求めようとしなくても、安らぎは欲しい。
暗闇に入れば、人は、手探りで、灯りを探すだろう。
夫のために、自分が光でいようとしても、知らず、
自分も光を求めたくなる。
それを、人は“道ならぬ恋”と、呼ぶかもしれない。
気付いてほしいと思いながら、気付かれるのが怖いとも思う。
「君の中に、二人の女がいる。」
と、女たちを口説いていたベルナールが
マリオンの気持ちに気付かない皮肉も、男女の妙か。
あるいは、マリオンの気高さを、守りたかったのか。
もし、マリオンが、ベルナールに向けた想いを
そうとわかるように、作品の中で見せていたなら、
不倫とか浮気とか、そんな安っぽい名前で、呼ばれてしまいそうだ。
ヴェールに隠されてこそ、深淵な情は、守られる。
ここに、この作品の、奥ゆかしさがあると思う。
一方、夫が口にした台詞は、
妻の“もう一人の女”を、責めてはいないどころか、
もし、自分になにかあれば、
ベルナールに妻を守ってほしい、という、
妻への愛情に、ほかならない。
まさに、もうひとつのヴェールで、包みこむようでもある。
人の心の奥底には、名前をつけられない、深い想いが潜んでいる。
愛と呼ばれる感情は、時に、うすく破れやすいものだが、
想いを込め、何層にも重ねられた愛は、揺るがない。
ドヌーヴは大女優だ。
彼女の品格ある存在感が、心の裏に潜むものの厚みを感じさせる。
やがて、作品は浮上していく。
マリオンは、劇場を去ろうとするベルナールへの想いに、
一線を越え、身を任せる。
ルカは、地下を出て、観客に挨拶する。
マリオンは、舞台中央に立ち、ライトを浴びる…。
占領下、夜間外出禁止令のため、
地下鉄の終電車にかけこむ市民たち。
地下鉄・終電車も、抑圧や埋没の象徴だったのか……?
しかし、逃げるように乗り込んだ終電車には、
その場からの出発があり、
その先の希望へと、進むのだろう
▼▼▼
示唆に富み、奥ゆかしさに、想いを巡らせながらも、
カトリーヌ・ドヌーヴ 、ジェラール・ドパルデュー
俳優の確かな存在感で、鮮やかな印象が残った。
上質の作品だ。

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