映画『恋とスフレと娘とわたし』★そもそも母親の愛情とは……^^;(ノーガキ雑感です)

作品についてhttp://cinema.pia.co.jp/title/18423/
↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。
原題は『Because I Said So』
“私がそう言ったのだから”反論の余地はないのよ。
子供を思う私の考えに間違いなどない、と言わんばかりの、母親の言葉です。
邦題はわかりやすく、スフレは、パティシエである三女のイメージ。
これは、娘(三女)を思う、母親の物語です。
姉たちのように良縁であれと、ネットで三女の結婚相手を捜し、まとめさせようとする
粉骨砕身・七転八倒な母親役は、大好きなダイアン・キートン☆(←適役♪)
母親の言うことを聞きなさい!という母に、娘の立場であれば、
私の人生はお母さんの好きにはさせない!と反発するだろうし、
そんな母には、子離れしなさいな、と諭したくなるのが、順当なのでしょう。
そこには、本当に子どもを思う親とは何ゾや??と言う問題提議もありそうで……
(以下、私の自分的母親論の押しつけにて、ご容赦を(^_^;))
◇:*:☆:*:◇:*:☆:*:◇:*:☆:*:◇
たとえば、究極の状態として、引き裂かれた母子という状態で考えると……
何年も誘拐された子がやっと帰ってきたけれど、子供は、育ての親になついていたので
子供の幸せを思った親は、子供を手放す決心をしました。
『チェンジリング』
誘拐されたまま、わが子が戻らない母親は、可能性は低くても、捜し続けようとしました。
もちろん、もう逢えないとしても、どこかで無事に生きていてくれることを願いながら。
『八日目の蝉』
実母と思っていた女は誘拐犯でした。
“生みの親より育ての親”と言うように、育ててくれた月日の重さは重いでしょう。
けれど、私は、自分が子供を身ごもってみて、初めて実感しました。
その、わずか10ヶ月間で、どれだけ、母親というものの重みが自分に与えられたのかを。
ですから、誘拐された娘には、実母は他人のような気持ちしかなかったかもしれませんが
娘が妊娠して、わが子に対する想いの強さを知った時、初めて
娘と引き離された実母が、どれだけ自分を案じ続けていたのかがわかった……
私は、そのことが、ことのほか嬉しかった……
ところで、それらの作品には “本当に子供を愛しているなら、それが子供のためならば、
子供との別離も受け入れられるはず“ という考えがあるように感じられ、確かに、そうだとは思います。
(が、この愚かな母は、あえて、言わせていただきます!)
そんな考えは、初めから、冷静に存在しているわけでなく
最終的に涙をのむしかない“納得”でしかないということです。
誰が、「子供のためだと言うのなら、喜んで子供を手放します」などと、冷静に思えましょう???
子供が手元に戻ったら、もう、絶対に手放したくないし、ギュッと抱きしめていたい。
そして、自分が愛おしいと思う気持ちを、子供にたくさん注いで、
子供にも自分を母として、慕ってほしい……
…………にも関わらず、子供のためだから、と手放すことを受け入れざるを得ない、という状況は
身を切られるよりも辛い、最終手段なのです…………
そもそも、母親の愛情は、うっとおしいくらいの主観の塊そのもの。
本当に愛しているなら……なんて、客観的な理屈を、私なら、誰にも言われたくない……
自分から、“納得“の域に達するまでは……
◇:*:☆:*:◇:*:☆:*:◇:*:☆:*:◇
我が子がカワイイという想いは、そんなこんなで、理性を失わせるものです……^^;
この、ダイアン母も、みっともなくも、滑稽なまでに、
娘のことに、粉骨砕身です。
私は、それでいいと思う(笑)。
昔、新米ママになった私に、母が言いました。
「子育ては、カッコいいもんじゃないよ。なりふり構っちゃいられないよ。」
ホント、そう思う(笑)。
一方で、愛情で覆いかぶすような母親を、娘が、うっとおしく思うのも事実 ^^;
子供の人生は子供の人生。
失敗したとしても、そこから学ぶもの―――
だとしても、
みすみす、崖から落ちそうなのが、見え見えなのに
ニコニコ笑って、手を振って見送るなんて、出来っこないヮ!(by ダイアン母)
↑私も、ココは、激しく同意。
小さなケガなら教訓でも、“転落”は、見過ごせない……
ただし、本当に、子供にとって、それが“転落“なのかどうかの見極めも、母親には重要です☆
かえって、幸せを逃してはいけません(>_<)
親バカもいいけれど、子供のために、利口にならなければいけません……(>_<)
そこで、面白いのが、
この、独り身の母親に恋のチャンスが訪れること!
娘、娘……と、娘ばかり見ているつもりでも、自分が恋をすると
母としてだけでない目が開かれるというか
自分も、一人の女性として、娘の幸せを見つける目が、開かれていくようなのです。
恋は、子離れの1つの形でもあり
子供と距離ができる分、
もっと良く、子供も見られる、という……~恋は恋でイイものです☆(*^_^*)
すべては子供のため、子供の幸せのため….
私は私なりに、キビシサと自制を持って、子供に接してきたつもりです。
でも、私も、
親バカ・バカ母なんだろうな~と、反省しております。^^;
ダイアン母は、自分を見るようで、なんだか楽しかった(*^_^*)
PS:年末に息子が帰省してくれて、嬉しくて、↑こんなノーガキしてしまいました^^;

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