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映画『潔く柔く』★雑感です~強く明るく生きたい~

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作品についてhttp://cinema.pia.co.jp/title/161379/
↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。



原作未読です。
岡田将生さん出演のラブ・ストーリーというだけで、鑑賞しました。
作品は、主演の男女(禄とカンナ)が、それぞれに、人の死を抱えながら出逢った……というものでした。


以下、内容についてというより、個人のつぶやきです。
よろしく、どうか…


▼▼▼▼



作品は、禄とカンナ2人ともが、同級生の死に対し、“自責”の念を持ち続けているものでした。
これは、重いことですよね……


私も、自責の念にかられた事柄があります……。私事で、恐縮ですが(→ココ


劇中、禄が、「忘れることはない。一生、抱えていくことなんだ」と、カンナに言います。
辛いこと、哀しいこと、苦しいこと……
それらは、忘れたいことでも、忘れることはありませんよ。
思い出すと、ゾッとすることもあります。でも、消えることは無い……


けれど、始め、禄は、明るく、カンナの前に登場します。
何も知らないカンナは、禄を無神経な人だと思いますが、
実は、カンナのことを知っていた禄が、真顔で言いました。
何の悩みがないと思っているのかと。悩みがないから笑顔なのかと。

↑このシーンの岡田さんは、とても良かった。
岡田さんは、他の作品でも、空気がはずれて浮かれたような明るさを見せることがありますが
それから転じて、過去をしっかり受け止めている表情をみせる――
その変化が、良かったです。


そう思うことありませんか?
自分が沈んでいるときに、楽しく明るい人を見ると
この人は悩みが無くていいな、と思うこと。


けれど、そうじゃないんですよね。
楽しいから明るいとは限らなくて、暗い重さにつぶされないように
明るくしていることも、あるんですね……
むしろ、哀しいものを背負っているほど、人間が柔らかで、温かいようにも思います。


自責の念があると、自分が幸せになってはいけないとか
自分が生きていてもいけない、と思ってしまうこともあります。
(劇中、池脇千鶴さんが、主演とは別の重荷を背負っていて、池脇さんの涙にじんとした。)


亡くなった方は、生きることを享受できなくて、残念に思うのですが
生き残った人は、罪悪感に沈むのでなく、良く生きることも義務ではないかと思っています。
自責の念は、抱えたままでいいから。


大切な人を失ったら、もう誰も愛せないかもしれないし
愛してはいけない、と思うかもしれないし
薄情だと、思われるかもしれないけれど
愛する気持ちが芽生えることにまで、罪悪感を、持たなくていいと思う。


人生は、楽しいことばかりではないことは、わかってる。
長く生きるほど、色々な別れが、通り過ぎて、哀しくて
生きるって、何なのだろう……と、そこで立ち止まってしまう……orz


哀しみは、時間を止めてしまうものだから
前に進むには、強さが要る。
前に進むには、照らす光が要る。
それが、人を愛する力に、備わっているのかもしれない…….


一生、抱えることがあっても、
「強く、たくましく」「明るく、楽しく」生きようと思いながら、作品を観終えるのは
ちょっと、違うのかな……^^;


“私の心の中の人“に対して、私は、罪悪感を持っていましたが
その人は、私を責めてはいないと思います。
その人が、生きて笑顔になることが、もう2度とないことは、やはり、心苦しいけれど
なるべく、笑顔でいさせてくださいね、と思います(*^_^*)


▼▼▼▼


高校生にしては、老けてるんじゃないかなど
それぞれに、意見・感想はあるかと思いますが
“死と罪悪感“というところに、思い起されるものがありました。


重いテーマを、ドンヨリさせずに、軽やかに明るく運んだのは
悪くなかったと思います。
(重厚だと受け止めきれなくて……)


何かとくじけそうな毎日ですが(>_<)
明るく、強く、ふてぶてしく、生きよう!(オーバーか?^^;)……ということで(^_-)-☆






PS:斉藤和義さんの歌う主題歌『かげろう』が、良くてですね、
ゆるやかで、淡い感じで、優しくて、
余韻を、包んでくれます♪







ECナビ↓






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テーマ : 邦画
ジャンル : 映画

映画『トゥ・ザ・ワンダー』★愛と痴情のいきさつをかくも美しく

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作品についてhttp://cinema.pia.co.jp/title/162385/
↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。



テレンス・マリック監督作品    ←哲学者だと思っています

・ベン・アフレック           ~彼
・オルガ・キュリレンコ        ~彼女   
・レイチェル・マグアダムス     ~元カノ
・ハビエル・バルデム         ~神父



あらすじはこちらを参照ください。 http://movie.walkerplus.com/mv53241/
(ストーリーは無さそうで、あります!)



マリック監督作品の、彼ならではの作品でした。
いい意味で、この雰囲気で作れるのは、彼しかいないのでしょう……


監督の作品の印象は、心象風景であり、詩であり、愛のささやき(男女の、神の)です。
そして、それを見せる映像が、素晴らしく美しい☆
どのシーンをどこで切り取っても、ベストショットになります。
作品は、めくるめく紙芝居のよう……


けれど、セリフでつながず、シャッターを切ってつないでいるようなので
そのシャッターを押す瞬間に、自分が、乗っからないと
ピンと来ない、というか、ピントがずれて、置いてけぼりになりそう……


実を言いますと、私は、この作品の“心象“には、うまく乗っかれておりません…orz
が、雑感は、述べさせてくださいませ。(↓勝手に言ってろって感じとなります^^;)


▼▼▼


ワンダーとは、“西洋の驚異”と言われる、“モン・サン=ミシェル”のことだそう。

そのモン・サン=ミシェルで出逢った恋人たちの
愛と葛藤と別れのエピソード。


そこに、神父も登場し、男女の愛と神の愛とが、微妙に映しだされます。


吹く風まかせのように、夢想的で、眠ってしまいそうですが
ときに、現実的な風が、生々しくも、荒々しく吹き起こり、
現実を逸脱したような彼女には、ブッ飛びそう……(汗)
と思いつつ、夢に酔いそうな気分でいると
神父役のハビエル・バルデムの、強烈に濃~い個性に、目が覚める…


彼が、恋しくていとおしくて、たまらない……
彼を求める彼女の愛は、うっとおしいまでに、彼にまとわりつく。
そんな彼女の姿に、クラクラしながら、愛の媚薬に酔う……
魅惑の愛は、永遠に、続いてほしい……


けれど、愛すれば愛するほど、現実の困難は悩ましく
未来への不安は、過去への懐疑をも生む……(←彼には、元カノもいた)
彼女は、愛の迷いに翻弄され、やがて、愛すればこそ、自壊していく……………….
(ああ、愛するって、ナンなのでしょう………orz)


神の前で、誓ったはずの愛が、壊れていくとき
神父は、神はどこにおられるのか、と自問し、苦悩する。
あるいは、神は、いつでも、人に試練を与えるものなのか………….(>_<)


▼▼▼


そこにあるのは、“男女の痴情の果て”という、俗っぽいものかもしれません。


夏の終り』や『ベティ・ブルー』のヒロインに感じるものに、似てるかもしれません。



愛することにのめりこんで、狂気を帯びると、変化(へんげ)する。
愛に苛立ちながら、壊れてしまうのは、自分にもある……orz


けれど、画面もヒロインも、ボロボロにせず
かくも美しいのは、黄昏の残光のよう………


遥かに見える“モン・サン=ミシェル”が、余韻を残す………………….

(マリック監督ファンには、絶品の作品なのでしょう)
















テーマ : 洋画
ジャンル : 映画

映画『凶悪』★すぐ隣りにある極悪非道withそのキッカケ

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作品についてhttp://cinema.pia.co.jp/title/161371/
↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。


死刑囚・須藤が、センセイと慕っていた、もっと悪い男・木村を告発すべく
記者・藤井を呼び出し、余罪を激白し、取材させる……


実話を元にしたフィクション、ということですが
気持ちのいい話では、ありません…(>_<)
けれど、悪とか罪とかいうものには、日ごろ、触れていない場合こそ
触れてみるものかもしれません。
世の中、いい人ばかりではないし、いいコトばかりでもない……
社会勉強のつもりで、鑑賞しました。


その非道さは、『悪人』『アウトレイジ』の比ではなく
園子温よりは、奥ゆかしい?印象でした。




・山田孝之 : 藤井~ジャーナリスト
・リリー・フランキー:木村~不動産関係、センセイと呼ばれる
・ピエール瀧 :須藤~元ヤクザ、木村に使われる



↑絶対、リリー・フランキーの役は、かなりワルい!と思いつつ
ピエールさんも、ワルの底深い俳優だな~と思わせます、
凶悪が須藤なら、木村は極悪。


で、取材一途の藤井や、無神経なマスコミ、捜査不十分な警察、
借金まみれ、裏切り……etc.
凶悪だけでなく、よろしくないこと各種が、ちりばめられてたようです、


▼以下、内容にふれて、雑感です。


▼▼▼▼


1、凶悪犯どものこと


序盤は、冒頭から、須藤ことピエール瀧の暴力・殺人のオンパレード(>_<)
須藤は、スイッチが入ったら、止まらずにイッちゃうタイプ。
けれど、自分のしたことが悪いことは、わかっている。
やっちゃったあとで、悪いことしたな~という罪悪感はある……(遅いけど)


藤井は記事にするため、須藤の証言内容を、取材していきます。
それが、映像として、再現されるので
生なましい悪行のヒドさを、見せられます。


その場面には、告白した須藤と、告発したい木村がいます。


須藤も、乱暴でケダモノのようで、怖い男なのですが
リリー・フランキーが、画面に入ると、これが、最高に、怖い……………
リリーさんには、本音はどこにあるの?という雰囲気を、感じているのですが^^;
ここでは、この人の人間性ってあるのか?と言う感じです。


印象的なのは、法廷で、須藤が、しらばっくれる木村に、いう言葉。
「センセイ(木村)は、人を殺しても実感がないんだ」


木村は、悪意で殺したというより
腐った心根で、悪ふざけしてるうちに、死んじゃったというふう…
だから、罪悪感が無い。


それに
殺されるほうに理由があって、殺す自分にも理由があると開き直っているから
悪意が無いのが、イヤらしい。


“未必の故意“というのがありますが
悪意がなくても、悪いモノは悪い、ときっちりしなきゃダメだゾと……


そうこうして、藤井の記事が、木村の逮捕につながり
死刑囚・須藤も、なんとなく延命ムードで
それはそれで、問題を残すのですが……



2.影をおとす、藤井の“正義“



この、凶悪犯どもを、さらしながら
正義のジャーナリスト・藤井の“正義“が、
彼の日常生活の中に、影を落としていく――――


実は、それが、この作品の見どころなのかもしれません!
そして、そんな忙しい夫たちは、そこらじゅうにいるのかもしれない……orz


藤井の家族は、認知症の母と、介護する妻。
妻は、介護の限界を感じ、息子である夫に、助けを求めますが
夫は、それどころでない。


闇の向こうにある、正義の炎を追求するジャーナリスト魂は、結構だが
かえって、足元の火を見失う。
自分の正義がすべてになって、近くの不幸が見えなくなる。
それが、息子として夫としての、“正しい”姿勢かどうか?……怪しくなる。
(法を犯せば、自分も捕まる……)


凶悪犯とて、なにか問題があったから、人を殺してきた。
介護地獄に堕ち、もがいた妻が
義母に、“尋常でない対応”をするとき、そこにあるのは
“悪意“と言いきれるのだろうか……?


ちょっと、その辺は、木村と重なりそうですが
ここは、さらっと、藤井家を見て、わがふり直せ、という事で……

(『ハンナ・アーレント』では、最大の悪は凡庸な人間がもたらすということを、活写したようですが
ここでも、ちらっとそんな想いが…)



▼▼▼▼


土地を転がしながら、死体も転がす、トンデモない奴……
使いようによっては、男気ある男になってたかもしれない奴……


こんなに、怖ろしいことを……
根っからの悪人が、そうすることもあるし
環境が、知らないうちに、そういう人に、変えてしまうこともあるのでしょう。


別世界のような、こんな凶悪な事件も
普通の世界の延長というより、すぐ隣りにあるのなら
大なり小なり、”全員悪人“にもなりえてしまう……


凶悪犯罪を見せながら、そんなソラ恐ろしさを残すのは
意外な効果でした。


……と、まとめなくても
リリー・フランキーの、ユルやかな極悪非道を見るだけでも、一興かと(>_<)


BGMに、静かで渋い笛の音♪というのも、面白い趣向でした☆















テーマ : 邦画
ジャンル : 映画

映画『グランド・イリュージョン』★花を咲かせるのに土から仕込んだのはアノ人^^;

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作品についてhttp://cinema.pia.co.jp/title/161901/
↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。


4人のイリュージョニストが、マジックを仕掛けます。
始めは、ラスベガスのショーで、パリの銀行から、お金をトランスポート。
やがて、マジックは、ステージを街へと移します……

手品やマジックは、面白いですよね!
これは、映画なので、演出が可能ですが^^;
それでも、面白い☆


ネタバレはしませんが、ちょっと。

▼▼▼


・ジェシー・アイゼンバーグ
:『ソーシャル・ネットワーク』でも、会話も頭の回転も速い青年でした。


今回は、グループを、テキパキ仕切っていい感じです。
彼には、スピード感と緊張感があるので、目玉となる人数の多いこの作品でも
しっかり、主演になっています。

・マーク・ラファロ
:4人の犯罪性を立証して逮捕したいFBIです。
アベンジャーズ』では、ハルクでした。


彼は、そんな人間味というか、ちょっとユルイ感じのあるところが
ジェシー・アイゼンバーグと対をなしています。
なんか、4人を逮捕・起訴できそうもないんじゃないか……^^;という風情、アリアリなんですが……^^;


・マイケル・ケイン
:4人のスポンサーのような富豪。
マイケルは、上品な感じと高慢な感じ~清濁あわせ持つ~が、絶妙です。
かつ、この人の立場も、微妙になってしまいます(>_<)

・モーガン・フリーマン
:マジックのネタ晴らし屋さんです。
マイケル・ケインと敵対し、警察マーク・ラファロに協力?……なれど
ここでは、そんな単純な立場に、終わらない。
モーガンも振り回すし、振り回される……(>_<)


そもそも、なぜ、この4人が、集まることになったのか?
誰が、集めたのか?
すべては、ソコなんです。



これは、壮大すぎる復讐劇だったとわかる……




▼▼▼


派手なカーチェイスもあり
オーソドックスな手品あり

誰が、カギを握っているのか
疑わしい目で観てしまう……^^;

でも、開けられないカギはないそうで……
でも、秘密のまま、川に落とすカギもあるそうで……

ストーリーは、過度に、情緒に流されず
サクッといくので、深みは、アレかもしれませんが
仕込みに仕込んだ人は、誰なんだ?誰なんだ?
というのを楽しむ作品でした☆

花を咲かせるには、まず、種を植える前の土から、と言う感じで
よ~く、仕込んでたんですね。

こういう作品は、2度目の鑑賞は無いかもしれないので^^;
1回目に、しっかり、楽しんでくださいませ☆












テーマ : 洋画
ジャンル : 映画

映画『眠狂四郎 殺法帖』★観るたびにヤラれる^^;狂四郎・第一作

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作品についてhttp://cinema.pia.co.jp/title/8228/
↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。


TVシリーズの、片岡孝夫さん主演の眠狂四郎も
雷蔵サマの眠狂四郎も、ポプポツ観ていますが
最近、なぜか、雷蔵サマの眠狂四郎が、見たいです。

ストーリーや世界観はさておき
雷蔵サマのたたずまいを、眺めていたい。
立ち姿、身のこなし、声の重さ….……
なんとも、様子がイイ☆
ああ、観ていたい(笑)。


念のために、申し上げますが
雷蔵サマへのこの気持ちは、恋愛モードではありません。
でも、いいなぁと思う。好き☆
熱狂的な恋愛感情もいいですが、この“好き”という状態のほうが
燃え尽きず、灰にならずに、長続きしそう……


本作は、実は、眠狂四郎シリーズの1作目☆
まだ、辛口ニヒルなキャラがまだ固まっていないなどと、世間では、言われるようですが
この作品の狂四郎のマイルドな部分も、私は好きですよ。

キャラが固まるかどうかですが
この作品で、狂四郎は、さだめのように出逢い
心惹かれた女性(中村玉緒さん)を、失うことになります。
そんなことがあれば、それが、その人に“濃い影”を落としますよね……
この心の痛手が、その後の眠狂四郎のダークサイドなんでしょうね。


本作での雑感です。(内容にふれています)


▼▼▼

1、色仕掛けについて   (言いにくいのですが)

ある大藩の命運をかけて、娘役の中村玉緒さんが、間者として
狂四郎に近づき、策を仕掛けます。
が、バレてしまい、なんなら色仕掛けで帳消しに……
という雰囲気になります。

が、狂四郎は、ああそうですか、と“据え膳“に箸をつけるような男ではない。

さらに
不同意に、手篭めにしても、
女は燃えないだろうというようなことを、狂四郎は言います……

↑ほお…
そんな、色気的に大胆なセリフを、狂四郎に言わせるのか……
と、ドキドキしながらビックリ……(でも、イヤらしくない)

ここは、“策“をはさんだ、男と女の緊張感あるシーンになっています。
そして、この場は、手付かずに終わりますが
そんないきさつが、後に、二人の燃えるような関係に、生きてきます。


2、土下座について


Be土下座(『謝罪の王サマ』)とか、土下座でもしてみるか(『半沢直樹』の大和田常務)とか
2013年後半は、“土下座“をよく耳にしました。
究極の謝罪は土下座。

中村玉緒さん演じるムスメ間者は、実は、藩主の娘だったことがわかります。
藩主は、それを知りながら、母を不幸においやり
娘の自分を、危険な任務に利用した――
謝ってほしいですよね。

藩の命運を握る、“隠しダマ“をもっている玉緒さんは
藩主に対して、こう言ってやりました。
「土下座を所望いたします」

おお!やはり、心からの侘びを表すのは、土下座か!

藩主(殿様)が、家臣として使っていた娘に、土下座するなんて
公開当時の世間の価値観では、すごいことだったかも!
当時の人には、胸のすく思いだったかも!

ただ……
土下座の向きが、玉緒さんに向かってでなく
あさってのほう向いてたのが、なんとも……….
誰に、アタマ下げてんだか…… (>_<)


▼▼▼


ところどころ、マンガチックな演出もあったり
狂四郎の円月殺法は、一瞬の必殺なので、あっさりだったりしますが

真に、必殺でノーサツなのは
シーンの空気を支配する、雷蔵サマ=狂四郎のお姿☆

観るたびに、ヤラれる………^^;
















テーマ : 邦画
ジャンル : 映画

映画『ワイアット・アープ』★本筋でなく逆説敵な女ゴコロの雑感です。

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作品について http://cinema.pia.co.jp/title/6487/
↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。

ココも参照してください。


OK牧場の決斗』で、ならず者と戦った、伝説の保安官です。



ケビン・コスナーの
西部劇ものなら、『シルバラード』のほうが、面白かったかも……(監督同じ)


悪者退治ものなら、『アンタッチャブル』のほうに、軍配が上がるかも……と思いつつ


これは、ワイアット・アープという人物の“伝記モノ”ですね。
‘(ともすると、ダラダラ長くなる……^^;)


“伝説の保安官“とはいえ、人間だもの……
新妻が病死したあと、グレてしまいます。
思い出ある自宅を焼くヮ、酒びたるヮ……


でも、そのあと、なんとか立ち直って、保安官を拝命します。
タカ派な姿勢で、ならず者を、カッコよく片付ける。
それはそれで、見ものです。


が、ここで、あえて話したかったのは
本筋とは無関係なことですので、▼以下、飛ばしてくださいませ。
(女ゴコロとなります。私の愛さの捨てどころ?(>_<))


▼▼▼


ワイアットは、妻亡きあと、その気になる女もなく
シングルでいました。
けれど、ワイアットに惹かれる女マティ(娼婦)は
妻のように世話を焼き、腐れ縁のように、“夫婦もどき”になっていました。



けれど、あるとき、美女ジョージーが現れると
ワイアットの気持ちは、ジョージーに惹かれます。
それが、気に入らないマティ。
ワイアットの気持ちを、こっちに戻したい。


そんなとき、どうしますか?
(画面からは、もうムリと思えるのですが…)


面倒なことは言わないで、世話係としておそばにいるのが、せいぜいかもしれないのですが
彼を失いたくないばかりに、
嫌味な行動・皮肉な言動を、してしまうんですね……


まず、自殺未遂。
あなた無しでは生きていけないの――ということですが
ソレは、ダメです。
彼の心は戻るどころか、距離感∞に……
自分の体はこの世にあっても、心は、あの世にあるともいえるから……


心配した彼が、かけつけてくれたとしても
それは、思慕でなく、人道上。
その目は、あの世にいる人を、眺める感じか……


その上、駆けつけてくれた彼に
「(好きな)ジョージーのところに行きたいなら、行けばいい!」
と、捨て台詞を吐いてしまったら、ワイアットは、去るほかありません。


↑この言い分、そんなこと言っちゃダメなんだけど
女ゴコロとしては、わかる……
逆説なんですよね。


ジョージーのところに行ってほしくない!から
逆のことを、言うんです。
「そんなこと言うなよ。お前のそばにいるよ」なんて言葉を
実は、期待しているんです。


でも、男性は素直なので
「行け、というから行った」となる。
残された女は、
そうじゃないのよ!否定してほしかったのよ!ワアア~と、泣くしかありません………orz
(映画はそこまで見せてませんが^^;)




▼▼▼


悪役や、お呼びでない女性は、撃たれたり、捨てられて
その人の人生からも、ストーリーからも、うっちゃられてしまいますが
ヒーロー:ワイアットは、その後、愛するジョージーと一緒になって
看取られるそうで、ハッピーエンドになるのでしょう。


でも、マティがなぁ……
あのあと、どうしたのかなぁ…でも、強く生きるしかないよね……
……と、捨てられた女のことが、妙に、気になった作品なのでした。





おまけ)

魅力的な共演者です。


ドク・ホリディ(デニス・クエイド)~ワイアットのよき仲間。労咳病みで腕のたつ、ガンマン。
                       渋いです。
  :沖田総司も、このパターンのナイスガイですね。


  :平手造酒(みき)も。 平手さんは、名前のミキを造酒にしたほどの酒好き、と言うダラケさも魅力^^;




ケイト(イザベラ・ロッセリーニ)~ドク・ホリディの愛人。出番は少ないですが、母親(イングリッド・バーグマン)譲りの美しさで好きです。














テーマ : 洋画
ジャンル : 映画

映画『冬のライオン』★キャサリン・ヘプバーンの哀しみ深い女ゴコロ圧巻!

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作品についてhttp://cinema.pia.co.jp/title/8761/
↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。
ココも参照してください。


ヘンリー2世 : ピーター・オトゥール       ←アカデミー主演男優賞ノミネート
エレノア王妃: キャサリン・ヘプバーン      ←アカデミー主演女優賞3度目
リチャード王子: アンソニー・ホプキンス     ←映画初出演
仏王フィリップ: ティモシー・ダルトン       ←映画初出演

↑このラインナップだけでも、観たくなる作品です(*^_^*)




ヘンリー2世の後継者争いが、メインとなっていますが


この作品は、舞台劇ということもあって、脚本(セリフ)・人物の描き方が、とても素晴らしく
だから、面白い!

歴史モノは、年表のように、出来事だけスイスイ行って、つまらないのもありますが
その人物が、どう感じ、どう行動したのかを、生き生きと、生なましく見せてくれました!!
(特に、“どう感じ“の部分は、たいてい、ダークサイドなほうが、面白い!)

ここでは、キャサリン・ヘプバーン圧巻でした!!!!!!

彼女演じたエレノア王妃は、かつてはフランス王妃だったけれど
縁あって、ヘンリー2世の王妃となり、王子5人を生みます。
しかし、劇中、エレノアは、ヘンリーによって、搭での幽閉生活を送っていて
クリスマスのときだけ、搭を出て、家族と顔を合わせます。
ヘンリーは、息子の嫁になるはずのフランス王女を、愛人にしている始末……


エレノアへの思い入れ雑感です↓(私情注意)


▼▼▼▼


キャサリン・ヘプバーンは、美しくも気丈な女性が、ピッタリです。

エレノア王妃は、その気丈さから、“残酷な女“などとも言われてしまいますが
それは、夫(男性側)の都合です。
確かに、「私は何をされてもされなくても、笑って耐えます」と言うほうが
可愛げがあるかもしれない……

「あなたが幸せなら私は不幸でもいいの」という、演歌の中にいるような女性も、いらっしゃると思いますし
現実社会では、そうやって、抑えるほかないです………

でも、本音は、面と向かって、言ってやりたいことありません?
自分をゴミために捨てて、他の人とよろしくやってる……それでいいの(ニッコリ)
そんなわけないですよね…………….

エレノアは、幽閉したヘンリーに、噛みつくように、本音を爆発させます。

が、私が、たまらなく思うのは
そんなエレノアの怒りより、ヘンリーを憎みながらも、それ以上に
実は、ヘンリーから愛されたいと、思っていることです。

この気持ち、この切なすぎる想い、わかりますか?

ヘンリーに、愛人とキスするところを見せよ、というエレノア。
自分が、(嫉妬を抱きながら)想像するのと同じかどうかを、確かめたいと言う……

そんな、自傷他害なことを言うエレノアに
ナンセンスだと、一笑に付すヘンリーは
エレノアが、自分を愛していることも、認めない。

ヘンリーを見つめるエレノアの目から、みるみる溢れていく涙……
愛おしさと、無念と、怒りと、哀しみをたたえた、エレノアの表情……

どうして、わかってくれないの!
どうして、愛してくれないの!
愛しているから、憎くなる。
愛しているから、愛してほしいのに………………………………………



▼▼▼▼


ののしり合いとせめぎ合いの、ヘンリーとエレノアも
出逢った頃を語りながら、引き寄せられるように、抱擁もする。
まったく、つながっていないわけではない二人は
愛情や、憎しみや、利害もろもろ、複雑な糸で、結ばれていたようでした。


そんな夫への憎しみが、愛情と表裏一体になっているエレノアが
ジャングルのようだと言った、その場を離れ、再び、搭に戻るときがくる。
そんなジャングルのお寒い季節に、から吠えするライオンが、ヘンリーか……


夫婦は、そんな簡単じゃないんだ的な風情で、エレノアを見送るヘンリーですが
妻の幽閉を、情緒的に見送るの、やめてほしい……..(―_―)!!
愛情が満たされないのは、ホント、苦しい………


愛と言えば、アンソニー・ホプキンス演じるリチャードが
ティモシー・ダルトン演じるフランス王に、恋心を抱いている告白は
エエッー!!でありました…


ピーター・オトゥールのヘンリー2世も、存在感は、確かにあるのですが
やりたい放題の王様ってのは、吠えれば吠えるほど
人間が、小さく見えてしまいます……(>_<)

ともあれ
キャサリン・ヘプバーンの、哀しみ深い女ゴコロ・圧巻!の作品でした☆













テーマ : 洋画
ジャンル : 映画

映画『クロワッサンで朝食を』★ジャンヌ・モローの輝き☆孤独と色気と包容力

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作品についてhttp://cinema.pia.co.jp/title/161941/
↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。


ジャンヌ・モロー主演ということに惹かれて、鑑賞しました。
『ぼくを葬る』でも、若く枯れゆく青年の命を、温かく包んでくれました。
老いてなお、輝く姿が、楽しみな大女優さんです♪

原題は『パリのエストニア女性』

ろくでなしの夫と別れ、母を看取り、子供も親離れしたアンヌは
祖国エストニアから、
独居老人フリーダの家政婦として、ひとり、パリにやってきました。
(フリーダも、エストニアの女性)
しかし、家政婦の依頼は、フリーダからでなく
彼女の元カレ(若いツバメ)からで
フリーダは、アンヌを必要としていず、つっけんどんに振る舞います……

たとえば、邦題になった、クロワッサン。
朝食にはクロワッサンだ!とフリーダが言うので、スーパーで買ってきたら
「スーパーのじゃなくて、ベーカリーのじゃなきゃダメ」と言われる。
こだわるねェ……

あらすじでは、“同郷どうしの女性が
やがて、うちとけていく話”ということになるようですが
私には、彼女たちそれぞれにある“孤独“について、思うところありました。


▼以下、内容にふれて、ダラダラ雑感です。
▼▼▼


まず
フリーダを演じる、ジャンヌ・モロー大御所の存在感は、大きいです!

この作品は、“老い“もテーマだと言われるようですが
ベッドでだらだらするジャンヌのけだるい色気には
そのテーマは、吹っ飛びましょう……^^;、

“老い”とは、何なのか?と思ったとき、たぶん、若い方は
年老いて、一人になって、動けないし、寂しいし……ということが
漠然と頭をよぎるのだと思います。
けれど
自分も、年齢を重ね、親も含めて“老い”を感じるとき、1番に感じるのが
“孤独”の二文字です。

その孤独は、独りで暮らしている、というだけでなく
はっきり言えば、自分を愛してくれるどころか
親身になってくれる人が身近にいない、と言う
心が底冷えするように寒い、孤独感です………………………….

フリーダが、アンヌを拒絶した理由の1つは
元カレが、アンヌを、連れてきたことなのでしょう。
フリーダは、年下の彼からの恋愛感情が、すでに無いことを知っています。
アンヌが身の回りの世話をしてくれても
彼氏がいなければ、生きていく意味もない。
フリーダは、自殺も図ったことがあるらしい…………

クロワッサンがどうの、自殺未遂だのと
手の焼けるおばあ様だヮ……という様相のフリーダですが
そんな老女であっても、彼氏がいなければダメなの……と言う気持ちは
よ~~~~くわかる………
元カレに、添い寝してもらうのが幸せなんて
老女には、年齢不相応だとは言わせないゾ……
(ジャンヌ・モローの枯れない色気が、かえって切ないの……)

さて、そんなフリーダの世話をする、アンヌ。

パリ行きを応援してくれる子供がいることは、幸せですが
彼女とて、家族がバラバラになって“、独り”になった女性です。

ことに、アンヌは、母から名前を忘れられていて
アンヌは、母の死を望んでいた(!)とも語りました。
それが、娘としての本心かどうかは別として
切れた母との関係を、なんとなく、フリーダに向けていたのかもしれません。

そんなフリードの立場を、象徴するかのようなのが、エッフェル搭近くでのシーン。
そこには、様々な人種の観光客がいて
思えば、異邦人のアンヌも、そのひとり。

もっといえば、クロワッサンのノーガキを言うフリーダとて、
パリに住みなれただけの“異邦人“ 。

アンヌは、フリーダのために
エストニアの古い“友人“たちを
フリーダ宅に呼び、彼女を元気づけようとしますが、
裏目に、出てしまいます…………………….

過去を知る人というのは、悪いことも知っている…………
フリーダの過去の素行不良(オトコ関係(>_<))を非難し
おぜん立てしたアンヌも、ボロボロに……orz

……………フリーダには、パリの恋人も、同郷の友人もいない。
その現実が、どれだけ、フリーダにのしかかっているのか……
1度は、帰国しようとしたアンヌは
自分のこととして、受け止めたのではないか……

それは、映画『ダイアナ』で言われた
“落下した自分を受け止めてくれる人”が、誰にも必要なんだ――
ということなのかな………………

そして、アンヌに発せられた、フリーダの言葉からも……(要反転)



「ここがあなたの家よ」      ←ジャンヌ・モローの包容力☆


▼▼▼


再び、エッフェル搭近くを通ってから
ラストシーンに至るまでの、アンヌの胸の内を
どう説明したらいいかは、わかりませんが……^^;

老人問題や異邦人、孤独とか、同情や思いやり…etc,と言うものを
上から、おっかぶせたものでは、なさそうです。

自分の中の“孤独感“を、フリーダの”最後のセリフ“まで
連れていってあげる感じでしょうか………

邦題に乗っかれば^^;
さっくさくの美味しいクロワッサンで、一緒に朝食したい!
と思える人がいたら、それは幸せなこと☆
(絶妙な邦題です☆)

別れを恐れず、出逢いは大切にしたいナ…と、個人的には思ったのでした^^;

どうです、カフェオレでも、ご一緒に(^_-)-☆


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テーマ : 洋画
ジャンル : 映画

映画『ダイアナ』★故人の遺徳を偲びつつイイ想い出だけとどめましょ(*^_^*)

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作品についてhttp://cinema.pia.co.jp/title/162847/
↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。



個人の物語は、デリケートな問題ですから、
イギリスでは、酷評だったというのも、うなづけます・





ダイアナ元妃が亡くなる前2年間を、扱っています。
ということは、別居・離婚して、1人で暮らしているダイアナ元妃です。
のぞき趣味的な感じで、見てしまうということもありましょうが
作品への期待は、きっと、故人の遺徳を偲びたいと思う気持ちですよね。


▼以下、内容に触れて雑感です。


▼▼▼▼

1、受け止めてくれる人が誰か

ダイアナ元妃は、誰かが自分を突き落す夢を、よく見るといいました。
不安な夢ですね。
興味あるのは、
彼女は、誰が突き落したかでなく、誰が受け止めてくれるのかだ、と言ったことです。

恐らく、突き落とすのは、特定の誰かとは限らないからでしょう。(それだけ過酷なの)
それよりも
受け止めてくれる人=自分の味方or愛情をもって接してくれる人を
必要としていると……

それは、とりもなおさず、“独り“の状態から救われたいということなんだと思います。

不自由ない一人暮らしを見せますが、それがかえって
彼女の心の不自由さを、引き出すようでした。


2、母は前向きで幸せだと思われたい

最愛の息子たちと、別居しなくてはならないのは、最大に、辛いことだったと思います。

対外的には、気丈に明るく、振る舞っていますが
それも子供たちのため、だったのですね。

子供には、母親は前向きで幸せに暮らしている、と思っていてほしい。
もちろん、子供と一緒にいなくて寂しい気持ちは十分ある……
けれど、子供には、心配かけずに、元気に暮らしていてほしいと思うから……

彼女が、何かに耐えてきたとしたら
その強さは、子供たちの母親というところから、湧き出た力だったかもな~と思います。


3、恋愛のこと

母としての強さと愛情もですが
孤独から救われたい気もちは、ほかの人に向くものだと思います。

それが、王室関係者であっても
女性が、ある男性に、尊敬と思慕を抱くことは、責められることではありません。
マスコミや大衆のえじきにされて、いいものでもない。

ダイアナ元妃の恋愛事情も、当時者にしかわからないことで
真実や本心は、わかりません………….

けれど、この作品が非難されてしまう、大きな原因と思われるのが
彼女を、恋愛に一途な、一人の女性として、見せてしまったことなのでしょう……
1つの“一途”は、別の“不誠実”を、生むものでもあるからです。

作品は、ともに事故死したドディ氏とダイアナ元妃の関係を
その前の恋人:カーン氏との関係修復のための、“あてつけ”のように見せました。
それは、本当かどうかは、わかりませんが
それぞれに、失礼になりますよね……

ただでさえ、ボロボロになりそうな、ダイアナ元妃の様子を見せているだけに
ご自身がご覧になったら、傷つくのではないかしら……


▼▼▼▼


それが本当に、真実なのかどうかは、わかりませんが
人間には、いい面もあれば、そうでない面もあるのが、本当なのでしょう。

もう、そんな↑デリケートな恋愛事情は、当事者に預けるとして……

地雷処理や、エイズ関係などの業績こそ
ダイアナ元妃の功績として、知らしめてくれればいいです。

そんなこんなあると思いますが
ダイアナ元妃が、立ち止まって振り返るシーンは、とてもいい。
その間合いがいい……

この世界に、もっともっと引き留めておきたかった、と言う気持ちと重なります。

亡き人のことは、いい思い出だけ、とどめておきましょ……(*^_^*)
















テーマ : 洋画
ジャンル : 映画

映画『人類資金』★ 森山未来に未来を託す(作品もか^^;)

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作品についてhttp://cinema.pia.co.jp/title/161910/
↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。



M資金~第二次大戦中、日本軍が集めた隠し資産~を盗み出して
人類貢献に使おうという……

M資金を管理する“財団“は、日米にあって
日本代表は、仲代達也さん♪
アメリカ代表は、ヴィンセント・ギャロ☆
詐欺師・真船(=佐藤浩市さん)は、意外にあっさりと、M資金を盗み出しますが
ヴィンセント・ギャロが、怖い………

トヨエツは、あっと言う間で
観月ありささんは、財団関係者っぽいのですが、実は、防衛省の人でもあって
香取慎吾さんは、Mと名乗るので、フェイントかまして
森山未来さんが、感動的なゴール☆

……と言った感じで
詐欺とマネーゲームということで、期待していたのですが、ゴメンナサイ……
私の体調のせいなのか、2時間20分は長かった……
楽しまれる方は、楽しんでくださいませ。

▼以下、内容にふれたつぶやきですので……

▼▼▼



1、ナントカ資金

このM資金もですが、山下財宝とか、“日輪の遺産“、徳川埋蔵金など
どこかに大きなへそくりがあると思うのは、ロマンを生みますね。
ないと思ったら、あった!と、忘れてたお金を見つけた喜びですよ。(*^_^*)

そのお金で買える分だけ買おうとするのではなく、
資産は、膨らませて活用する……
それが、生かした使い方なのかもしれませんが、失敗したら、
オダジョーのようになってしまう……。“往復ビンタ“に、泣き面に蜂か……orz


2、お金の使い方

“人類資金”というのがミソですが、それは、国連での森山未来さんに託されます☆

そこで、ふと思い出されたのが『チャーリー・ウイルソンズ・ウオー

この作品は、アメリカのアフガンへの対応をあやまったことが、未来に禍根を残したという、手痛い教訓でした。
そして、鉄は熱いうちに打て!といいますが、次世代を担う子供たちへの“教育”の重要性を痛感させました。
(ゆとりにぬるまってる場合ではないョ、とも)

ここでは、森山未来さん(役)が、子供たちの未来のために(森山未来だけに^^;…すみません)、訴えました。
母国への“援助”ではなく、“投資”をです。
これ、意味深だと思うんですよ。
援助は、ちょっと上から目線ですよね。
けれど、“投資“は、出世払いでいいよ、と言うニュアンスあり、可能性を育てながら
ともに歩もうというパートナーシップです。(諸々、あるとは思いますが…)

そのシーンは、感動的な演出で、森山さんは、キレのいい動きとともに、独壇場でした。
(チラシもセンターに)


3、あえて『日輪の遺産』と堺雅人☆~~~ちょいグチになります…


『日輪の遺産』も、戦後の日本復興のために!という志があって
それを担う人間、一人ひとりが宝物なのだと、感銘を受けた作品でした。

それは、ある作業に借り出された少女たちのエピソードが、話の主流でしたが
関わった軍人=堺雅人さんがいるだけで、ぐいぐい引っ張ってくれた印象です。
主役バッチリ☆

……それに比べると(グチです)




今作の主役・佐藤浩市さんは、セリフ回しも魅力的で、主役としての面白みと存在感は
十分あったと思うのですが、国連の森山未来さんが、キラキラし過ぎて(それはそれでいいのですが)
その後の演出含めて、バランスが悪くなってしまった感じがするのです。(私の印象ですのでね)
生意気ついでに言いますと
全体に、シーンのメリハリをもっとつけて頂けると、2時間超が長く感じなかったかも………^^;




▼▼▼


大きな組織の大きなお金に手を出すと
命が危ないことは、予想つきます。(;岸部一徳さんの役に合掌)

大金をモッテルものが、世界を動かしているのですものね……
対等で、なんて言ってると、ヤバいのかもしれない……(>_<)

それだけ、スリリングな内容ではあるので
体調の良い時に、お楽しみくださいませ☆















テーマ : 邦画
ジャンル : 映画

映画『ルノワール 陽だまりの裸婦』★陽光の理想の女&/vs台所の生身の女か…

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作品についてhttp://cinema.pia.co.jp/title/161610/
↑あらすじ・クレジットはこちらを参照してください。


巨匠ルノワールの最後の作品『浴女たち(ニンフ)』を描いた時期に、焦点をあてています・


物語は、さほど、起伏には富んでいるわけでもなく
陽だまりの~という邦題がありますが、穏やかといえば穏やかです。
しかし
水面下には、思うところありました!(あとでね)

まず、ルノワールの一生について→ココ参照してください。


生前は生活苦で、死後に初めて、日の目を見る画家は、少なくありませんが
ルノワールは、生前に成功をおさめ、リウマチを患いながらも、
広大な敷地で、死ぬまで描くことができたのは、画家冥利につきるようです。


内容にふれて雑感です。


▼▼▼▼


その絵のモデルは、のちに、次男の嫁となる、デデ。(←実在)
(次男は、その後、映画監督になります。)

デデは、ルノワールの亡き妻の紹介だと言って、ルノワール邸にやってきます。
(レ・コレットと呼ばれる、ルノワール邸が、広い!)

ルノワールは、室内でなく、屋外にモデルを置いて、絵を描きます。
……と言っても、高齢だし、リウマチもあって、車いすで生活し
屋外への移動は、使用人の女性たちに、運んでもらい
リウマチで曲がった手に、筆をくくりつけて描きます。
痛む手は、女性たちが、ケアしてくれます。

さて、↑さらっと書きましたが
この女性たちとの生活と、デデの出現が、この作品のキレどころなのかもしれません。

というのは、まず
この絵を描くに至るまでの、ルノワールの内面の紆余曲折は、ココ
を参照して頂くとして……

以前の、アウトドアの裸婦は、肌の色が青みを帯びていることから、“腐った”ようだと言われ…orz
美しく描いたのに、自分らしさでなく、どこかアングルの絵のようになったり……と
年季がいっても芸術の道は、自分という個性と、たえず、自問するものなのだと思われます。
(精神的にも大変ですね……)

そうこうして、デデをモデルにして、描き上げたというのが 『浴女たち(ニンフ)』
(紆余曲折の末、ルーベンスへの回帰なんだそうな)

デデを演じた、クリスタ・テレ☆
彼女がモデルなら、この女を描きたい!と思わせる。
ピチピチの柔肌は、最高の女性として描くゾ!と思わせる。
……そんなミューズであります☆

血色のいい、ふくよかで、これぞ“わが女性たち”!と叫んでいるような女性像を、
ルノワールは、ついに、描くに至った!

そうなのですが、!をつけるほど
その経過を、ドラマチックには、演出していません。

人を幸せにする絵を描きたいと言っていた老巨匠は
描くことを楽しみながらも、ストイックな感じで、描いています。

けれど、芸のこやし、と申しましょうか
女性に、ビーナスのごとき美を追求する男性は、必ずしも、聖人君子ではないと思われます……
芸のためなら誰かも泣かしたんじゃないか……
自分が泣かさなくても、巡り巡って泣く女もいたんじゃないか……

会話の中に、ルノワールと“近い関係”になったために、屋敷を出ることになった女性もいたことがわかります。
(次男は彼女を気に入っていたらしい……)

印象的だったのは、台所のシーン。

モデルとして滞在したデデが、使用人の女性に、食事を頼んだら
「自分で作ったら」と断られる。
使用人の女性たちは、自分たちも、デデと同じようにモデルでもあると言う。
今はモデル専門のデデも、順序が逆なだけで、自分たちと同じ使用人だと言われる。

そのやりとりの中で、怒ったデデが、皿を何枚も割るシーンは
平穏な水面が、大きく波立ったような、激しいシーンでした。
が、そのガシャーンと言う音で、この作品は、キュッと締まった、というか
私の目が、覚めました^^;

恐らく、彼女たちは、なかば、愛人のような存在で、生活していたのではないでしょうか……
赤ちゃんのいる人もいましたが、その子も??(詳細は不明です。考えすぎならゴメンナサイ)
よく言えば、家族なので
愛憎相半ばしながらも、ルノワールの世話をすることで、平穏さを保っていたところを
まるで、女神のような感じで、デデがモデルでござい、という立場でいるものだから
彼女たちは、“女の意地“が炸裂したと思われます。

………でも、そんな様子は、絵を描いているルノワールは、知らない……
彼にとって、陽だまりのような女たちが、“いさかい“を起こすような存在だとは思っていない……かも……
彼にとって、女性は、“たっぷりした脂をたたえた、美しい肌をもつ存在“でしかない……のかも……

女は、腹の中では、何思ってるかわからない、怖ろしい存在でもあるのに―――(汗)
と言う感じで、このシーンは
ルノワールが、理想とする、女性の美の極致をめざす邸宅のなかで、一方では
ルノワールが知らなくていい “生身の女の本音“を見せたようでもあって、
その対比も、作品の面白さに、なってるようでした。


▼▼▼▼


外の日差しが、柔らかで、温かく
ルノワールを描くのにふさわしく、美しい映像でした。

毒気の少なそうな作品かと思いきや、
女の城である台所のシーンは、
ルノワールが描く“女“というものについて、どうよ!とぶつけられた感じで
意表をつかれましたね。

モデルと父子の骨肉の三角関係になるでもなく
淡いタッチの作品かもしれませんが(失礼!)
豊満な脂は、ノッてます(*^_^*)












テーマ : 洋画
ジャンル : 映画

映画『陽だまりの彼女』★愛する気持ちはずっとあり続けるファンタジー(^_-)-☆


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作品についてhttp://cinema.pia.co.jp/title/161397/
↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。




社会人になって、10年ぶりに再会した恋人たち。
やけ焼けぼっくいには、すぐに火がついて、結婚し、アツアツ(#^.^#)に☆
けれど、段々、彼女の具合が、かんばしくないような……

ラブ・ファンタジーと聞いて、楽しみにしていました☆

女子は(オバサン含む(-.-))、基本、熱々にラブラブが好きですョ。
熱々は、ずっと続いてほしいけれど、現実は
冷めたり、途切れたり、横やりが入ったりで
”ずっとアツアツ”は、難しい……
”ずっとアツアツ”の”ずっと”と言うのは、
”ずっと”が叶うのであれば、必ずしも、”同じ状態”でなくてもいいかしら?(オット!)

これは、おとぎ話です。
ああ、そういうことかぁ……と気づくと、
それまでのあんなこと、こんなことが、伏線だったとわかって、ニンマリ(#^.^#)。
段々、寂しいトーンになっても、そんなニンマリで、ホッコリした気持ちになれました。

以下、ネタバレムードで雑感です。(未見の方は鑑賞後に(^_-)-☆)


▼▼▼





終盤、真相がわかってきたあたりで、浩介が真緒に語りかけるセリフ。
「お前、ブライアン、食ったろ?(笑)」
このセリフが好き☆
このときの真緒は、運気下り坂で、山下達郎さんが歌うテーマソングではないけれど
”レクイエム”ムードでもあるのです。
そんなときに、「食ったろ?(笑)」です。
この(笑)の感じが、とてもイイ☆
思わず私も、ふっと笑った。
そのときの(笑)で、浩介は、”自分の知らない真緒”のすべてを
受け入れたよ!ということが、よ――――くわかる……

伏線の部分ですが
魚が美味しそうとか、熱いのが苦手な〇舌とありますが
お隣のボクちゃんが、ベランダから落ちそうなピンチのとき!
………ふと、思い当たるフシ(余談)が……

それは、体操で大活躍の、ひねり王子こと白井選手☆
床運動での新技「シライ」。
4回転を、ひねりにひねっての、見事な着地を見たときに思いました。
”高いところから落ちても、うまく回転して着地する、〇〇みたい!”

百万回生きたナントカ、というのもありましたね……





▼▼▼


今が、どんなに幸せで
今を、どんなに留めておきたくても
それを、時間にも、記憶にも残し続けることは
実際にはムリなことだと、私たちは知っていますよね……

だから、このカップルの哀しい部分は、まんざらファンタジーでもない……

けれど、このファンタジーは、ちょっと哀しみを残しながらも
”愛すること”それ自体は、いつもそこにあり続けるものなのだと
教えてくれてると思う……

ビーチボーイズの♪「素敵じゃないか」は、幸せな二人に、ハマりすぎ☆
一緒に、幸せを感じちゃおう!\(^o^)/




縁側で日向ぼっこする感じで、こんな奇想天外も、いいと思うナ……


PS:街頭の巨大広告は、案外、大胆で刺激的だったのね……^^;













テーマ : 邦画
ジャンル : 映画

映画『トランス』★絵を見つけるうちに真実が!(>_<)


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作品についてhttp://cinema.pia.co.jp/title/162717/
↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。



絵画泥棒が、盗みの途中、仲間と暴力沙汰にもめた際に、失神し、
自分が、隠した絵画のありかを、忘れてしまいます。
記憶喪失の治療のため、ある心理カウンセラーのセラピーを受けることになりました。
それは、催眠状態(トランス)で、行われました……

これは、楽しみにしていた作品でした☆
~~“忘却“と”想起“~~
深層心理にアプローチするのは、楽しみですョ(*^_^*)


絵画は見つかるのか?
どうやって見つかるのか?
………というところに、視点を持ってきてますが、これは、策略です(オット^^;)。
予告編での、“思い込み”です^^;

観る人が見つけるのは、絵画と“真実“!(オットット…)

これは、謎解きモノなので、それをお楽しみくださいませ☆
のみならず
タネ明しのあとも、どうなるんだ!?どうなってるんだ??と持ってきてくれるので
緊張感の持続には、気をくばってたかも。

ネタバレぼかして、雑感です。

▼▼▼


・忘れちゃった泥棒:サイモン~~ジェームズ・マカヴォイ
・セラピスト:エリザベス~~ロザリオ・ドーソン

このキャストに、思うところありました^^;

絵をどこに隠したか忘れちゃった……というのは、ちょっと、おっとりさんムードです^^;
目力くっきりの、ジェームズ・マカヴォイが、おっとりさんと言うのは、違うな…..^^;
と感じていましたが、やはり、ワケありでした。(*^_^*)
ジェームズの目力には、ナイフのような緊張感があって、作品のムードを盛り上げます。

そして
ロザリオ・ドーソンです!\(^o^)/
私は、ロザリオ好きです^^;
彼女は、知的で深いです!

この前ふれた、キャサリン・ゼタ=ジョーンズが、チョイ役では収まらない様に
ロザリオも、セラピスト役にイイんじゃない?と言う程度の役で、あるはずがない。
謎のカギを握るだけでなく、車のカギも握る^^;
かつ、テーマと思われた“絵画紛失”の件が、はじっこに行ってしまうほどの
ドラマの広がりと深みを、握っていました。

(この展開は、よく言えば“広がり”、悪くいうと、“すり替え”か……(>_<))

ロザリオの役どころは、良かったと思います。
主役は、ジェームズになっていますが、ロザリオの手の上で、転がされてたような……^^;


そして、トランスということですが
夢かうつつか幻か……と言う演出が、面白く、見せてくれます。
なので、アレ?と、観ているほうも、ちょっと惑います^^;
そのアソビ心は、刺激でもあります。(エグイのあり。エぐすぎて、かえって現実でないとわかる)

絵は、一応、見つかります。一応……^^;


▼▼▼


この、夢か現実か?と言うテーマの作品で、思い出されるのが
バニラ・スカイ』です。



これも、夢かどうか、というわからなさを楽しむ感じですが
のみならず、ある男の生き方や価値観についても、浮彫になる印象もあるので
空想ファンタジーというより、“現実“を感じてしまう……というおマケつきだったような……
(私の“記憶”が曖昧です^^;)


そんな“記憶“は、
忘れたいものほど、忘れられなくて
忘れたいのに忘れられない…….という、残酷なものでもあります……orz


記憶喪失は、喪失とは呼ぶけれど、記憶は失われてはいない。
奥のほうにあるのだ、とロザリオ・ドーソンは言います。
彼女の催眠療法のシーンは、ソノ気になってしまいそうに、説得力ありました☆


この頃、物覚えがアヤしい私ですが
頭を打たないまでも、なにかシゲキがあると、イイみたい(*^_^*)














テーマ : 洋画
ジャンル : 映画

映画『スマイル、アゲイン』★大人の事情はドリブルでかわしシュートはバッチリ(^_-)-☆

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作品についてhttp://cinema.pia.co.jp/title/161257/
↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。



気になるジェラルド・バトラー主演♪(以下、ジェリー)。
ジェリーも、ジャンルを問わず、観ておきたい役者さんです。


原題『Playing for Keeps 』では、何かに、一所懸命に取り組みそうですが
状況がわかりにくい。
その点、『スマイル、アゲイン』は、カタカナ邦題にしなくても、と思いつつも
様子がわかりやすい^^;
“笑顔再び“というのだから、ドタバタがあっても、ハッピーエンドになりそう☆


今回、ジェリーはパパ役、というので
Dear  フランキー』のような感じかな、との期待もアリ(*^_^*)

『Dear  フランキー』は、厳密には、パパではなかったのですが
父を知らない少年にとっての最高のパパになってくれたジェリー♪
その光景が、温かければ温かいほど、ラストシーンが、ちょっと哀しい……
とはいえ、“その先“に、私は希望を抱きながら、見終えましたよ……(涙)

Dear  フランキー~と、少年に呼びかけて、手紙を朗読するジェリーの声が
優しいんだな~これが……
だから、とても、心に響くんですね……
(↑これはこれでお勧めの作品です)

そんなわけで、『Dear  フランキー』のような感じなのかな~と思ったら……
違いました^^;
もっと、ライトタッチ。

けれど、ユマ・サーマン、キャサリン・ゼタ=ジョーンズなど女優陣が、
独身パパのジェリーに、濃厚に押してくるので、そちらのインパクトありました。


内容にふれて、雑感です。


▼▼▼


ジェリーは、サッカーの元スター選手の役どころ。
今は引退して、離婚・別居しています。
(詳細不明ですが、現役で、ブイブイ言ってた頃は、家庭が二の次だったらしい。)
妻子がいる町にやってきて、よりを戻そうと思っているのですが
元妻は、再婚を控えていました。それに、ジェリーには、定職もないらしい…orz
ひょんなことから、息子のサッカーチームのコーチを引き受けたことから
親たち(特に母親たち)と、公私ともに関わるように、なってしまいました……


子供の近くで、得意分野のサッカーで、触れ合うのは
復縁の大きなきっかけになりそう☆というのも、前向きでいい。
けれど、それ以上に
コーチと“親たち”との関係が、お困りコメディでした(>_<)


ユマ・サーマンは、いきなり、寝室で、待ってましたから(>_<)、ビックリです。
隣の大家さんは、観ているし(>_<)
ジェリーにしてみたら迷惑なんですが、唐突さは、笑える^^;
いや、
夫に浮気されていて、愛されることに飢えている妻の寂しさを思ったら
それは、笑えないことなんですけど…(―_―)!!
(満島ひかりなら、だってどうしようもないのよ~!と言うのかも……汗) by『夏の終り




さてさて、コメディは、人の不運や不幸さえ、笑いのタネにして
それはそれで、泣き笑いとばして、哀しみを和らげてくれるのかもなぁ……と
ユマ・サーマンの、ゴージャスなわりには、寸止めの色仕掛けに、思ったのでした…….

さらに、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ☆
彼女は、ヤリ手ですわぁ~^^;
サイド・エフェクト』でも、海千山千の熟女でした……
もはや、彼女の名前を見つけたら、事なかれに素通りするだけの“友情出演“だと思ってはいけないのですね。

キャサリンの場合は、独身なので、合法的にOK☆
なのですが、毒牙やトゲを、チクチク、感じさせてくれますヮ~^^;
知らず、まな板の上に乗っかって、気づいたら、彼女に料理されてそうな……


あざといのは、ジュディ・グリア^^;
ジェリーと何気なく話しているかと思ったら、急に泣き出す(>_<)
泣かれると困りますよね……少年サッカーの傍らで。
加えて、いきなり自宅にやってきて、理由つけて、上がりこむ(>_<)←やめてくれ~でしょ(>_<)
カワイくて、ちょっと可哀そうな演出で、狙った男性を落とそうとする……
私は、このタイプの女性は、苦手です(>_<)
でも、多分、男性は、この手の女性に困りつつも、巻き込まれる自分を許すこと大なのかも……orz

一方、
デニス・クエイドは、良きパパのイメージありますが
女性陣のモンスター・ママに負けずに、親バカぶりを発揮。

……というわけで、少年サッカーのコーチになって、息子と距離が近くなった以上に
よそのパパやママの急接近に、ドリブルでかわす、受難のジェリーを見せられます。
ああ、そして、メンド―な写真を撮られてしまい
こともあろうに、よりを戻したい元妻の目に入ってしまう……という……
はたして、ジェリー・パパの、スマイルのシュートは、決められるのか!??・(>_<)


▼▼▼


父と息子の、ほのぼのした話だけかと思いきや
なんだか、下世話っぽくて、とんでもないわァ~(―_―)!!と思いながらも
そこは、『スマイル、アゲイン』です。(*^_^*)
最後は、“きっとうまくいく“と言う安心感で、観ていられる☆

ジェリーの、キレのいいシュートも、カッコ良い☆(^_-)-☆













テーマ : 洋画
ジャンル : 映画

映画『薄桜記』★雷蔵さまの奇跡のラストシーンに痺れ放心…

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作品について: http://cinema.pia.co.jp/title/10131/
↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。
(あらすじは入り組んでおりますが、確実です(*^_^*))

ちなみに、薄桜鬼のほうではありません。
ドラマや演劇にもなっているようですが、市川雷蔵主演のほうです。

雷蔵(←あえて敬称略)の代表作という事ですが、
そうなんですか、と見送ってはいけない作品だと、今更ではありますが思います!!!

時代劇・チャンバラ……
今でも、リメイクなどで、そのジャンルを継承してくれるのは、楽しみなことです。
が、(↓エラそうならゴメンネ)
今は、着物を着ない生活(だけでもありませんが)でもあるし、
心の持ち方が、昔とは違うということもあってか
着物を着て刀を差しても、昔の時代劇から感じる“端正“な緊張感が、
今ひとつのような感じを受けることがあります。
時代の生活感や価値観が変化する中で、その人の持つ雰囲気も、
変わっていくのは仕方ないことなのでしょう……orz


だから、“この雷蔵”には、こと雷蔵ファンというわけでもない私でも
忘れられない!!魅力を残してくれました。

すでに周知の内容とは思いますが、絶賛したいので(*^_^*)

▼▼▼


雷蔵を絶賛!なのですが、勝新太郎とのコンビで、物語は進みます。

徳川綱吉の時代。
忠臣蔵の、浅野家と吉良家(上杉家ふくむ)をバックに
侍たちの関係が、味方になり敵になり、複雑な様相を呈するなか
(←一言では言えないので↑あらすじを)
雷蔵は、“花は桜木、人は武士“と言うような生き様を見せつけました!


始まりは、勝新が、決闘する叔父の助太刀で戦った相手が
雷蔵(=丹下典膳)の所属する一門の侍だったこと。
たまたま居合わせた典膳は、そのときの職務を優先するために、関わることを避け
同門の加勢をしなかったことを、咎められ、破門されるのみならず、
仲間から恨まれてしまいます。
酷いのは、元同門の5人が、留守中に押し掛けて、
典膳の新妻を手籠めにしてしまうこと…orz
典膳は、妻が悪くないことは承知しても、受け入れられず、妻を離縁させます……

~中略~

長くなるので、話したいところだけにします^^;

1、離縁のこと

手籠めにあってしまった妻は、被害者であるのに
それを恥じて、夫・典膳に、斬られる覚悟をしています。
現在の夫婦愛ならば、それを乗り越えて、手を取り合って生きていくと思われますが
侍の家ではそうもいかない、と典膳は、言い切ります。
そして、心では、受け入れていても、事実を受け入れきれない、とも言い放ちます……

侍というのは厄介なものだ、と侍の口から聞くこともありますが、ホント、厄介です……
妻は、無礼者にズタズタにされた挙句、愛する夫からも、突き放されてしまうなんて…
典膳とて辛い、というのもわかりますが、妻が可愛そうすぎ……
(夫を、ジョーと呼びすてる新島家の夫婦とは、別世界です)

ほかのときなら、このような殿方は、器の小さいヤツめ!(>_<)と
一刀両断にしてくれよう!……と思いそうな私めですが、
この雷蔵サマには(←敬称付き)
そう思えない……
厳しさ漂う、凛とした雰囲気が、妻を愛していることを、熱く伝えているからなんですね。

だから、妻の実家で、義兄に襲われ、右手を切り落とされることになっても(!!!)
それを理不尽でなく、なるべくしてなったことと、得心する典膳……

離縁はしても、妻の仇打ちはするつもりの典膳でしたが
剣豪と言われた彼の、利き手を失ったあと、どうするのか……??


2、大立ち回り☆

片腕になった典膳は、それでも、かたき討ちは忘れていませんでした。

でも、ムリなんじゃないか……
マンガチックな奇跡は、あるのか?いや、あっていいのか??

敵は、多勢。
追い詰められたら、厳しい….
けれど、そんな彼らも、元は同門の武士。
“尋常に勝負“するという。

尋常な勝負のために、“寝たままの姿勢”で、移動させられる典膳!
いくら“尋常”に……と言っても、仰向けに寝た姿勢では、勝負なんてムリ.?


しかし、そのムリな光景が、見事にスゴイ光景に変わったのでした!!!!!!!!!

外は雪。
左手と口を使って、刀を抜く典膳。
這うような姿勢で、襲いかかる刀の嵐を、振り払っては斬り、
振り払っては斬る、斬る、斬る!
白い雪が、赤い血に染まる……

↑このときの血は、ドバドバ出しません。
雪を染めるくらいで、いいのですね。それが、かえって、鮮烈なのです。
斬り合いの様子を美しいと言っては、不適切かもしれませんが
渾身の片腕で、張りつめた緊張感の糸を、ピリピリ感じさせる典膳の姿には、ゾクゾクするほど痺れました……

立ち回りと言いましたが、典膳は、立っていない……
なのに、スゴイもの見たなあ~という迫力……
結果に、“奇跡“なんて、作らなくていいんです!
このシーンが、すでに、奇跡なんだ!と思いました!


▼▼▼


コーヒーで、ブルマンブレンドを飲んでも、
純ブルマンとは、味も香りも違うように^^;
これは本物だ!と感じる作品は、観た後、その香りに、
放心状態になります……(*^_^*)

その香りは、英語圏にも行っているそうで
英題は『Samurai Vendetta』

広く海外でも、雷蔵サマを見て頂けるのは、喜ばしいことですが
『薄桜記』~はかなさの香りをタイトルに出すのは、
ちょっと、ムリだったかな……orz










テーマ : 邦画
ジャンル : 映画

映画『サイド・エフェクト』★トンだ副作用(トバッチリ)もラストは完治(^_-)-☆


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作品について:http://cinema.pia.co.jp/title/161228/
↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。



主演:ジュード・ロウだし、監督:ソダーバーグだし、ということで
楽しみに鑑賞しました☆

抗うつ薬の副作用で、無意識に、夫を殺してしまったという若妻。
本人が、心神耗弱なら、罪は問えない。
その原因が薬なら、責任は製薬会社か?処方した医師か?

~~~予告編は、そんな感じでしたので
私は、副作用の責任問題が主な作品かと思っていました。
実は、それが、メインの法廷劇なら、イヤだな~と思っていました……

劇中のセリフにもありましたが、若妻に責任が問えないなら
誰かが責任をとらないと…云々というのがありました。
それも、見ていて不安要素……


結末はふれずに雑感です。(知らないほうが面白いです♪)


▼▼▼

作品に触れる前に、ちょっと……^^;↓


思わぬ副作用で、予期せぬ事態になってしまうことは、あると思うのです。
たとえば、多くの人に良く効く薬が、ある人には副作用が生じ、命を落とすこともある。
遺族は、副作用の説明不足だと、処方した医師を訴えるかもしれないし
処方する医師への注意喚起が不十分だと言って、製薬会社を訴えるかもしれない。
薬の承認が甘かったと言って、国も訴えるかもしれない。
ご本人とご遺族には、遺憾なのですが、多くの人に効いて、その方には合わなくて命を落とされたのは
誰が悪いわけでもないのではないかと、思うことがあります……………
けれど、誰かに責任をとってもらわないと、亡くなった方が浮かばれない、という気になるのか
訴え易いところを、ツツク傾向があるように、感じています。
(個人の感想です)


そんなわけで、処方した医師であるジュード・ロウは、困ってしまうのです。
マスコミは、処方したアンタが悪い、と言わんばかりに押し掛ける。
殺人が自分のせいという風潮なのだから
家族のことも、気にかけていられない。(←奥さんはそれに関していたわってない(>_<))

とりあえず、裁判では、若妻は無罪で施設に入所ということで、ケリはつきますが
なんだかんだで、ジュード・ロウ医師は、同僚とも製薬会社とも、距離を置かれてしまう……
奥さんも、家を出て、何もかもムチャクチャにされてしまうのです。
~~~その辺のジュードの絶望かつ虚無にまみれた表情は、真に迫ります!


若妻が前にかかっていたという女医キャサリン・ゼタ=ジョーンズ女史にも
彼女のこと、病気のことを、色々たずねてみます。
しかし、どうも、つれないんです…….キャサリン。
アナタ、そんなことも知らないの?と言うエラそうな感じで、彼の狼狽を楽しんでいるかのよう……

そんな、タカビーな雰囲気が、キャサリンに合っている^^;
と言うか、キャサリンは、ちょいゲストな役ではないはずですから^^;
絶対、なんかある!と思うのです^^;

もう裁判は終わったんだし、処方した自分が責任を問われなかったんだから
それ以上、この件に関わるのはやめれば?と
他人は他人事だからいうのですが、そのせいで、仕事も家庭もメチャメチャにされたのだから
ジュード・ロウ医師は、しつこく、気になることを調べ始めます。

そこがイイです!
がんばれ~、ジュード・ロウ!\(^o^)/
真実への追究は、研究者として、アッパレだぞ~☆

そうして、暴かれていく真実……
玉ねぎの皮を、1枚1枚向くように、じわじわと、真実が見えてくるのが面白い☆


ネタバレふまえての雑感です↓(要反転)





若妻演じた、ルーニー・マーラ☆
病気のふりしてた、ということですが^^;
このルーニーの雰囲気は、クセモノでしたね~♪
カマトトちゃん、と言いたくなるくらいに、可愛く哀れを演じていました。
役者やのォ~^^;
でも、いい加減にせえ!(-_-)/~~~ピシー!ピシー!





▼▼▼


・大元の始まりは、すぐに死亡退場した、チャニング・テイタム演じた夫の“職業”。
・上目使いも、意味シンなルーニー・マーラ。
・そして、素通りできない役どころ、キャサリン・ゼタ=ジョーンズによる、ものすごいモノ観ちゃった^^;というシーン。
・たまたま診察したのがこんなことに…という不運さは、ダイ・ハードか?の、ジュード・ロウ医師。
チラシの構図は、なかなかいいトコ、ついてます^^;


医師には、トンだ“副作用“=家庭不和について
ラストシーンに、さらりと、“完治”を見せてくれるのは、いいセンスですね。

~~

ソダーバーグ監督が、テレビ界に転身するため、最後の劇場映画ということですが
そのうち、また、戻ってくるのではないかと、私はふんでおりますョ(*^_^*)









テーマ : 洋画
ジャンル : 映画

映画『(ゲキ×シネ) シレンとラギ』★所詮この世は生き地獄でも生きる道は有る(*^_^*)


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作品についてhttp://cinema.pia.co.jp/title/162660/
↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。


予告篇での、藤原竜也さんと永作博美さんの、ぶつかり合って火花が散るような演技に魅了され
楽しみにしていました☆
(ゲキ×シネ、病みつきです(*^_^*))

物語は、敵対する、とある北の王国と南の教団。

20年前、北の侍頭キョウゴクの命令で、南の教祖ゴダイを、毒殺したと言う暗殺者:シレン(永作)。
キョウゴクの息子・ラギ(藤原)は、そんなシレンを、尊敬していました。
今になって、死んだはずのダイゴが生きていることがわかり
キョウゴクは、再び、シレンを刺客として送ることにする。
ややためらうシレンだったが、ラギを伴なって、南に向かう……

戦いのシーンの立ち回り、剣さばきもスピーディで、迫力にはドキドキ☆
ふっと抜ける笑いも、楽しい。

ですが、この物語。
2人が、南に向かっていったその後、傾向としては、エゲツないものとなっております(汗)。


以下、結末は隠して、雑感です

▼▼▼

「地獄でなぜ悪い」というのもありましたが
「所詮、この世は生き地獄。お前は、今、この世の入口に立ったのだ」と言われる…orz

「殺す相手を本気で愛して殺す」は、まだいいほう……
やがて
「愛することは殺すこと」と唱えるあたりは、やぶれかぶれの暴走のようで
劇として本気で、そこに乗っかってくのだろうか…?と思いましたが
古田新太さんが「バカなことを」と、流れに竿を指してくれた……

けれど、暗殺がらみで、“血“の臭いがする、この物語の”血“の臭いは
そこじゃなかったんです!!
だいたい、女が男を暗殺するために近づく、というのは、
色仕掛けがらみに、決まってますよね……orz

↑ソコからが、本質なので、観てビックリしながら感動してください。


↓ネタバレして雑感です。

▽▼▽▼


ラギの父キョウゴクが、ラギを殺すことに、躊躇しなかったのも
なんて身勝手な親なんだ!と衝撃でしたが
ラギの妹が、ラギを慕っていることへの嫉妬らしく
親子であっても、一線を越えることもいとわなそうな、その姿勢にも
親子の“血“の意味を、感じさせます。

一方、ラギは、シレンを尊敬する年上女性と見て
シレンも、暗殺者としての自分を変えてくれると言った青年ラギに、期待しました。
そうして、魅かれるところあれば、男と女ですから、年の差なんて………

けれど、やがて、ラギは、シレンとゴダイの間に生まれ、生まれてすぐに殺されるはずが、
キョウゴクの手に渡り、育てられていたことがわかります。
愛し合ったシレンとラギは、男女の関係では、いられないのです………………

暗殺の対象ゴダイが、実父だと知ったことも、ラギには複雑だったはず。
“血は水より濃い”と言いますが、実の親子の間には、切れない糸があるものですよね….
シレンもラギも、その運命に苦しみます。

ラギの苦しい胸の内が、悪夢の演出になっているのですが
コレは、スゴイ演出ダ……!(>_<)、

シレンの産んだ子がラギ、と言う事実は、シレンの出産時を再現します。
生まれ出たラギは、青年。
その子を抱く時、シレンは母であり女である……
それは、愛というより、おぞましい悪夢でしかないかもしれない……
けれど、母であれ女であれ、自分の中で湧き起こる“愛“は、ただ愛するという”情熱“だけを感じれば
いいと思う。この期に及んでは、もう、どうする……(―_―)!!


愛することは殺し合うこと、というなんだかわからない教義を唱え、新たに
南の教祖ロクダイとなったラギは、シレンに刀を向けます。
それは、この世では、二人は、愛し合える関係ではないことを、呪うかのようであり
愛したい想いを刀に込めて届けるかのようでも、あったかもしれません。
ともかく、尋常でない斬り合いをする……
それが、究極の切なさを見せる………orz

ラギ=藤原くんの絶叫は、力が入って、本当に痛々しい………………orz

親子であることが呪わしい、二人の“血“。
なんだか、絶望的な終焉か・・・・・・?


▽▼▽▼
▼▼▼

………そんな二人だけに流れる“血”が、二人に、生きるべき道を与えるラストシーンがいい☆(*^_^*)
(特に、永作博美さんの最後のセリフが、とてもイイ☆)

愛することが、妬みや恨みを伴わず、自分本位なものでなく
ましてや、殺し合うことでもなく(>_<)
“人として”、芽生えてくるものであると自覚したとき、救いの道が開けるのかもな~と思いました。

最後は、人間愛☆
そこにたどり着くほうが、いいようです。(一般論です(*^_^*))



ゲキ×シネは、生の舞台を観る視点とは違った、演出された映像と
アップの表情を、よく見せてくれるのがいいです。
五右衛門ロックも楽しみです♪













テーマ : 邦画
ジャンル : 映画

映画『セラフィーヌの庭』★心の庭にそよぐ風のような……

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作品についてhttp://cinema.pia.co.jp/title/153254/↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。
こちらも参照ください。




実在の画家:セラフィーヌ・ルイの物語です。
……と言ってもどなた様?と思われるかもしれませんね^^; 私も、よく存じ上げませんでした^^;
劇中、恐るべき(!)シロウト画家と言われた、アンリ・ルソーの絵がチラッと出てきますが
素朴な、女流シロウト画家のようです。


家政婦として働きながらも、ずっと蔑まれてきたというセラフィーヌ。
無口で、アップの表情には、彼女がどんな人生を送ってきたかを、にじませるようです。
(画面も暗い…)
彼女は、40歳を過ぎた頃、天使のお告げで(!)、絵を描くようになります。


以下、内容に触れて雑感です。

▼▼▼

彼女が働いている家に、下宿していたドイツ人の画商が、たまたま彼女の絵を見つけ
高く評価してくれたことから、画家としての一面を見出したセラフィーヌ。
このまま、画家としてやっていけそうか、と思われたとき
第一次大戦が起こり、この地フランスにいた画商は、彼女の前から姿を消してしまい
進展は、一時、ストップします。

さて、そうやって、あらすじだけ話していても
この作品の独特の魅力は伝えられません(>_<)、
この女優が演じた、セラフィーヌという女性の、独特の個性があっての作品です。

蔑まれていると感じながら、生きてきた彼女にとって、
絵を描くことは、自分が自分であることを、目覚めさせてくれた、
命の解放のようなものだったのではないかと、思われます。

画材は、お金もかかることもあってか、手の届くところから“仕入れ”ました。
(例:レバーの血抜きした液体は、鮮やかで深い赤を描けそう…)
拝借?盗み?と思われる行為も、信心があれば、天使は許してくれるかも??
……彼女の行動は、目が離せない(>_<)という興味に、惹かれます^^;

戦争も終わり、画商と再会できた彼女は、良い時が巡ってきたようで
個展の開催まで、予定されます。
そのときには、セラフィーヌの表情も生き生きして、いい感じになるのですが
困ったことに、今度は、世界恐慌の不景気で、個展どころではなくなります……

そこからですね。
セラフィーヌの“新たな悲愴“の描写が、訴えかけてきました。

信心深い彼女は、個展に天使を招待したのだから、個展の延期はダメだと言い張ります。
不景気は、彼女には関係ない。売れないなら、画商の売り方が悪いという。
予算を無視した買い物のツケも画商に回し
逸脱した行動をとりはじめ、病院に収容されてしまいます。

↑それらをもって、彼女を“狂気の画家“と呼ぶのも、ありなのでしょうが
ピュアで素朴、一途な彼女の、フツウでない面が前に出たからといって
“狂気”とは、呼びたくありません……

絵は、今まで、闇でうずくまっていたような彼女の人生に
光を与えたようなもの。
けれど、不景気の風が、画家人生という順風満帆を奪ってしまった……orz

彼女は、医師に「自分の絵は闇に消えた」と言ったそうでした。
希望のあとの失望は大きい……orz
天使を招待したことが果たせなかった、と思うことは、罪悪感も引き起こしたかも……orz

そうこうするうちに、画商は、絵が何枚か売れたことを
入院中のセラフィーヌに知らせたい、と面会を求めます。
少しでもいい知らせで、喜ばせたいと思うのは人情です。

しかし、絵のことを話題にすることは、医師から止められます。
闇に消えた絵の話を引きずり出すのは、かえって、彼女を闇に引きずりこむことになりかねません…
画商も納得し、去っていきます。

そして、ラストシーンになるのですが………
これは、私の勝手な思い込みとなりますが、心寄せたいラストシーンです!!!

画商は、「ここがいい」と、医師に病室を指定します。
そこは1階で、ドアから外に出られます。
そして、その部屋に、1人、案内されたセラフィーヌは、ドアを開け、
椅子を携えながら、外に出ていきました。

単純な私は、始め、外に、画商が待っていて
それとなく、絵の話をして、元気づけるのかな~と思っていました。
けれど、いくら“素朴派“の話とはいえ、そんなに素朴ではありませんでした。

病院の庭、というより、そこは広い草原のよう☆
その解放感は、セラフィーヌの心の中を暗示していたのかもしれません。
やがて、大きな木の下で、椅子に腰かけて、終わりました。(チラシの風景です)

具体的に、画商に逢ったのかどうかは、わかりません。
でも、あの爽やかなで、穏やかなラストシーンは、きっと多分、
画商との面会で、心が癒される出来事があったのかもしれないな~との期待を、匂わせてくれます。

~~

そのエンディングが、ことさらに、嬉しく思うのは
ふと、女流彫刻家:カミーユ・クローデルを、思い出してしまったからです。

ロダンの弟子であり愛人のカミーユも、傷心のため、晩年は入院し、一生を終えたと聞きます。
入院中、カミーユの心が癒されることがあったか無かったかは、知る由もありませんが
救われていたらいいなあ、と思います.


▼▼▼


そんなわけで、この作品の良いところは、セラフィーヌにも鑑賞者にも、
ラストに、”解放的なそよ風”を、残してくれることかな~と思います。

『セラフィーヌの庭』という邦題も、庭という響きに癒されるようで、気が効いてますネ (^_-)-☆
原題は(Séraphine)だけですから ^^;

















テーマ : 洋画
ジャンル : 映画

映画『地獄でなぜ悪い』★映画を撮りたい!熱き血潮の血の池地獄(>_<)


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作品についてhttp://cinema.pia.co.jp/title/160905/
↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。

強烈に炸裂したインパクトを残す、園子温監督作品です。

純粋なコメディを作りたくて作った、とも
20年位前に、こんな感じのを作っても取り合ってもらえなかったけど
一旗揚げた今なら、作らせてもらえるチャンスがあった、とか言うので
原点回帰のアクションコメディを、楽しみにしていました☆

コメディと言っても、宮藤官九郎ではないし^^;
やくざアクションと言っても、北野武でもない……
そこは、ホレ、園子温ですから……^^;それなりの覚悟はするんですね….(汗)
で、案の定、“映画愛“というのも含めて、やっぱり、園子温だあ~という感触たっぷりでした…^^;

で、私が雑感など、つぶやかなくても、園ファンの絶賛記事で、コト足りると思うのですが^^;
しいていえば、“映画愛“が詰まった作品です、と言うだけにしておきたくない(苦笑)
つまらぬ雑感を述べて、いじくることが、私の園子温への愛ですヮ……^^;

以下、ツッコミ含めて“愛“ですので、ご勘弁を。


▼▼▼

冒頭の少女のCM。
♪ギリギリ歯ぎしりレッツゴー~♪
ここで、はや、B級の臭い……^^;

間もなく、画面、まっか……(>_<)
一面、血の海、血の臭い……(―_―)!!
いきなり、血の池地獄でなぜ悪い、とキタ――ッ!!!(>_<)
その血の海を、さっきの少女が、スライディングしてたどり着くのが、堤真一さん♪

堤さんは、“本気出してないだけ“のオッサンでなくて、
アブナイものを手にして、凄んでるほうが、合ってる(*^_^*)

ストーリーの軸は、
1、ヤクザが娘をヒロインに映画を撮ろうとする、ということ
2、その映画を撮るのが、映画大好き☆な人たち、ということ
のみならず
3、ヤクザなんだから、出入り(抗争)シーンも生で撮っちゃえ!というところで
血生ぐさ全開!!になるのが、園子温への期待でもあるのでしょう。


まず、映画愛?とは…….
映画を撮るのに夢中、ということも1つあると思うのですが
映画大好きさんたちは、コレだ!と思う瞬間を逃さず撮ろうとする。
いつでも、絶好チャンスは、“今でしょう”!\(^o^)/という意気込み。

それは、熱心なのだけど、彼らは、周囲の状況や感情も含め
すべて無視して、“撮影“するスタイルです。
非情ともいえるその姿勢は、ジャーナリストにも見受けられますが
“今“、その一瞬を逃さずに、”形にする”ことが、映画として記録することなんだ、と
私なりに思っています。
そんなのまで撮るんですか?と常識的には、ためらい見逃すかもしれないものまで
映画の神様が降臨した人は、撮れちゃうんだな……と思います。

映画大好きさんたちが、ノリノリで見せる前半は、ちょっと長かったかもしれませんが^^;
そんなわけなので、許すとして……^^;

アブナイ少女として登場した、二階堂ふみ☆(あえて敬称略^^;)
彼女は、あどけなさと色気が不思議に同居して、それが、不安定で危うさ大の魅力なんです。
ヤクザの娘という、フツウでなさは、別れのキスに炸裂!(>_<)

可愛さ余って憎さ百倍返し!
元カレへの最後のキスは、別れ節。
口を真っ赤な血で染めて、痛い~~~!!!!(―_―)!!
ここで、そんなキスをさせるのが、園子温なんですね……

いえ、園子温は、その先を行って
そんなキスを見せられた、なりゆきの人(星野源)に、そのキスを絶賛させるんです。
ちなみに、星野源さんは、フツウの好青年役です^^;

そして、ヤクザ同士が刀で斬りまくるのですが、チャンバラとは、もはや違う。
殺し合いを映像に収めてるのは、すでに、スナッフムービーか…(>_<)

「暴れん坊将軍」でも、立ち回りは見せどころですが、
それとは違って、画面がいい意味で、真っ赤でキタナイ^^;
頭や手足が飛ぶのだけれど、リアルなようで、マンガっぽいのは、むしろ救いか……^^;

挙句、なりゆきで巻き込まれた、星野源さんは、右腕を切り落とされながらも
手がついてなくても、二階堂ふみさんに出逢えたことのほうが幸せだ……などと言うのは
映画『タイタニック』で、海に沈みゆくジャックが、愛するローズに遺した言葉のよう。
血の海に沈みゆく彼の愛の情景として観ちゃっていいのか?と思いつつ^^;
これは、園子温の地獄篇だと、我に返る。

そして、冒頭シーンの、血の海でのスライディングを
この斬り殺し合いの場面で再現されると、お約束とはいえ、嬉しくなるのはなぜでしょう(*^_^*)


やがてついに、収束に向かいつつあったところで、警察の突入。
大抵、そこで、ホッとするんです。これで、このスゴイことは、終わりだって。
でも、園子温ですから、油断大敵!
ナント!警官は、ヤクザも映画関係者も、皆殺しを謀るんです!(>_<)
そんなことって……別の意味で、もう終わりだ……orz

けれど、映画愛なんだナ~♪
皆殺しになったと思ったけれど、映画の神様が降臨した監督役・長谷川博己は不死身なのだ!
(愛する映画は死にましぇ~ん、と言っても可かな…^^;)

あの、地獄絵図の惨劇は、いろんな意味で、ヒドイ……けれど
血まみれになったフィルムは、まさに、映画を撮りたい!という熱き血潮のナマ血(>_<)

嬉々として膨らむ、上映会の妄想。
そこには、まさに“必死“の想いで、イイ映画が撮れるなら死んでもイイ、と願った面々……
映画愛、というか、命懸けてるゾ!という感じでした。


▼▼▼

コメディと言っても、演出はグロい。^^;
好みでない方も、少なくないと思います。
私も観るときは、覚悟する^^;

でも、観ずにはいられない^^;
まさに、地獄に引きずりこまれる覚悟でも、観たくなる監督さんは
そうそういないと思います。


PS:劇中、ボコボコにされながら、大活躍の星野源さん。
主題歌も歌ってくれています。病気療養中だったようですが
公開の頃は、完治されたそうで、なによりです。(*^_^*)















テーマ : 邦画
ジャンル : 映画

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