作品についてhttp://cinema.pia.co.jp/title/163063/
↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。
「お前がいたから強くなれた」
チラシのこのコピーが、一目瞭然に、
心に響きそうな作品かも!と思わせてくれますが
何せ、命がけのF1が舞台の、実話です(*^_^*)
最後は、じわ~っと良いモノ観たナ~と思いました☆
チャンピオンを狙うライバル同士は、性格の正反対な二人。
繊細で慎重な、ニキ & タフガイでアバウトな、ハント
それぞれ、ダニエル・ブリュール と
クリス・ヘムスワード(←マイティ・ソー☆)
と言う配役も、好対照で、ピッタリ☆
クラッシュを含むレースシーンも、スゴイかもしれませんが
レース事故の前後にある、実話人間ドラマは、この作品ならではでしょう☆
サブタイトルの“友情”ですが
ライバル同士の関係は、微妙ですよね。
同業者だからライバルであるけれど、事情を知った者にしかわからない苦難を
わかり合える関係でもあります。
そこには、爽やか青春ドラマっぽい“友情”ではなく、
苦みはあるけれど、骨太な関係がありました。
▼~▼ 内容にふれて(結末ボカして)雑感です。
▼▼▼
1、「お前がいたから強くなれた」
まずは、コレでしょう(*^_^*)
雨天のレース事故で負傷して、ニキが不在の間、
ライバルのハントが、成績を上げていく……
もどかしいニキ…orz
でも、負けたくない!という強いプライドは、人を前に、動かします。
アイツが、がんばっているんだから、俺だってと。
見るからに、苦しそうな治療を、受けながら、
ニキが、食い入るように観ていたのは、レース映像。
絶対、レースに戻るんだ!と自らを奮い立たせるような、臥薪嘗胆(>_<)
自分を蹴落とす立場のライバルも、見方を変えれば
自分を後押しする存在でもあるーー
……そんな風に、チラッとでも思えると、
心の風向きも、グンッと、前向きになれそうな気もしますね(*^_^*)
2:ハントの拳☆
実は、ニキのレース事故に関して、ハントは、気がとがめています…orz
ニキの復帰記者会見のときのこと。
怪我のあとが、顔に、痛々しく残るニキに、ある記者が、心ないことを言います。
(その記者こそ、よくも、“人間の顔”をして、そんなことが言えるナ!(怒!))
会見のあと、ハントが、その記者を殴りにかかります。
ここは、言葉少ないシーンですが、その一発は、心にグッと来た……
事故の償いのつもりも感じましたが、それ以上に、
命がけのリスクに挑む、レーサーとしての“プライド”が殴らせた拳、と言いたい。
その一発に、“友情“を込めたと言っても、イイ☆
そんな、お互いを意識した様子や行動から、
彼らを結ぶ“強い糸”を感じてくるのです。
▼▼▼
ニキの復帰で、わからなくなった、チャンピオン争い。
ニキが追い上げるか、ハントが逃げ切るか。
白熱する最終戦――
そこで、ニキは、どうしたか………??
……それは
なぜ、ニキが、必死でレースに復帰したのか?と言うことと、相反しそうですが……
ニキには、もっと、大切に守りたいモノがあった、ということ。
そして、そんなレースの結果は、
偶然(雨?)や奇跡ではなく、事実として、ナットク。
やがて、紆余曲折を経た、ニキとハントが
互いにチャンプと呼び合って別れるシーンも、さりげない“敬意”なのが、イイ☆
「宿敵の存在を呪わず神の恵みと思え」 ←なかなか言えることではありません。
「これからも俺を脅かし続けてくれ」
ライバルを、ネガティブでなく、ポジティブな存在と受け止めるーー
実話ということで、あらためて感じるのは
ああ、彼らも、命をかけて仕事して、ひたむきに生きてきたんだな~と言う感慨です。
外からは、結果しか見えないものですが
裏では、必死で戦って、哲学の目を啓いて、頑張ってきたんだな~
という事情を観るのは
私には、とても良かった☆
がんばろう!と思えてくる(*^_^*)
Hans Zimmer氏の音楽も、二人の生き様を、最高に盛り上げてくれてます♪
PS:今は亡きハントと一緒にこの作品を観たかった――
ニキの言葉にも熱いモノを感じますネ……
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テーマ : 洋画
ジャンル : 映画

作品について
http://cinema.pia.co.jp/title/163618/↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。
監督:フランソワ・トリュフォー
出演:ジャン=ポール・ベルモンド、カトリーヌ・ドヌーヴ
冒頭、映画『ラ・マルセイエーズ』が流れ、監督したジャン・ルノワール氏に
この作品を捧ぐと、ありました。
恋愛映画しか撮らないという、トリュフォー監督と
↑2大俳優の布陣で魅せる作品☆
フランスの海外県:レユニオン島(マダガスカル島の東方)から、始まります。
文通で知り合った男女が、結婚することになり
女が、男の住む、レユニオン島にやってきます。
送ってもらった写真とは違っていましたが、男は、美しいその女に、一目で恋に落ち
二人は、めでたく、結婚します……
その後、急転し、坂を、転がり落ちていきます……(>_<)
恋愛映画しか撮らないとは言ったものの、ヒッチコック監督を敬愛するというトユフォー監督は、
サスペンスで、うまくコーティングしながら、
甘いだけではない、愛の姿を、見せてくれます☆
▼~▼ 内容にふれて、雑感です。
▼▼▼
序盤、お金の話が出てきたあたりから、警戒モードになってきました。
男は、タバコ会社の経営者で、リッチです。
夫婦とはいえ、文通だけで、背景がよくわからない相手に
自分の財産のどこまで、信用させていいものか……と思いますよね。
でも、自分が好きになった相手には、心を許したくなるんですね……
この先、ずっと、一緒の関係と思っているわけですから
人に知られたくないことも、この人には、打ち明けようと思うこともありますよ。(自験例)
それが、愛情表現のつもりでもあります。
だから、悪気はなかったとはいえ、その人が、他にバラしたことを知ると
裏切られたというか、二人の秘密にしてくれなかったのか……orzと思って傷つく……(自験例)
早々に、女は、夫のお金を、会社の分も含め、ほぼ全額引き出して、雲隠れしてしまいます……(>_<)
男は被害者として、女を捜索しますが、一方
女が入れ替わった本人は、殺害されていたことがわかり、実姉も、女の捜索に協力します。
つまり、
この“夫婦“だけの問題では、なくなったということです。
その後、女を見つけた夫は、殺そうとしますが
やはり、1度強烈に好きになった人には、“好き“という気持ちだけが、残っていくものです。(キッパリ☆)
悪い男に、お金を巻き上げられた女には、手元にお金はなく
男は、再び、自分がお金を工面して、彼女と一緒にいることに“努力”します。
この“努力”が、破滅に向かってくのですが
ジャン=ポール・ベルモンドは、カッコいいだけの男ではなく(褒め言葉デス)
貧乏くじを合わせもつからこその、人間的魅力を、感じさせる人なので
ダークサイドで、幸せがはぎ取られていくような、空寒い風情が、とてもいいのです。
そして
初めに騙した女は、やはり、油断ならない^^;
親切そうな顔をして、“白雪姫の毒リンゴ“と等しいことを、夫にする。
自分だけ助かればいい、という生き方をしてきたような彼女の
しみついた生き方なのかもしれないけれど、それは、究極に、ヒドい!
こんな女に関わったせいで、夫は、人殺しもしてしまったというのに……orz
しかし、ああ、これが愛なんだな……ということを見せる。
それは、「毒殺しようとしたことを知った上で、なお、彼女を愛している」という男の気持ち☆
↑この愛の気持ちは、ご経験ありますか?
大抵は、可愛さあまって憎さ百倍返し!となるところでしょう。
けれど、“好き“という感情が強い相手には、何をされても”好き”と思ってしまうこともあります(キッパリ☆2)
そこまでの愛を前にしたら、毒婦と言えども、真実の愛を知りますよ。
そして、その強い愛に、自らを恥じ、愛することの苦しさを知る……
逆に言えば、苦しいほどでないと、愛を知ったことにならないのではないか……(自験例)
経過からすると、明るい前途は、見えてきません。
二人は、風吹の中、歩く姿が、かすんでいって終わります……
けれど、このラストシーン、いいなあと思うのです(*^_^*)
困難や不遇しかないかもしれない前途だけれど
二人が、しっかりと結ばれて、手を携えてともに歩むならば、乗り越えていけるかもしれないし
不遇しかないとしても、あなたがいてくれれば死んでもいい、と思えそうなことが
すでに幸せなことなのかもと、感じるからです。
▼▼▼
結婚は人生の墓場とか、結婚は不幸の始まり、などと言いますが
確かに、そうかもしれない……orz
それでも、出逢っただけの、意味のある二人。
ラストの「FIN」が、雪の中に、赤く映えて、鮮やかです♪
テーマ : 洋画
ジャンル : 映画

作品について
http://cinema.pia.co.jp/title/5005/↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。
あらすじは
ココも。
ご存知、オードリー・ヘプバーンの名作です。
子供の頃、観て以来で、ほとんど記憶がなかったので、新たな気持ちで鑑賞しました。
看護師ガブリエルは、尼僧シスター・ルークとなって
アフリカのコンゴに赴任します。
医療活動だけでなく、修道女としての立場もあるシスターは
信仰と善意だけでは、なにかと行き詰まりを感じます……
▼~▼、内容にふれて、雑感と言うより意見です。
(注:作品の主旨からそれてる可能性あり)
▼▼▼
シスター・ルークは、医療活動を通じて、神の愛を伝えたいというところから
始まっていたと思うのですが
看護師と修道女と言う立場は、慈愛では一致していても
別の立場なんですね。
患者さんに接し、尽くしていても、祈りの鐘が鳴れば
祈りを、優先しなくてはなりません。
沈黙の戒律があれば、無愛想?に接することにもなる……orz
悩むルークに、上司の尼僧は、
看護師であることより、修道女の立場を優先すべきだと言います。
どうします?
心浄いルークは、ストレスのためか、結核になりかかってしまいます(>_<)
悩みを告解すると、神父さまのいう事がいい。^^;
「あなたは、自分に厳しすぎるのです」
他の人は、そこそこ、ゆるくやってるよ、ということでしょうか……
確かに、自らを罰するムチ打ちは、週2回が適当だ、と他の上司も言ってた…^^;
しょっちゅう、気が咎めていては、人間やってられませんよね……
沈黙など、俗世間ではきびしいタイプの戒律は
修道院の中だけにして頂いたほうがいいと思います。
祈りもそうです。
祈りは、謙譲の気持ちからも、尊い行為だと思いますが
直接、手が下せる行為があれば、それが優先されましょう。
医師不在のときには、ルークは、ただ祈るのではなく、できる処置を施しました。
祈りに関しては、これは、私の勝手な自論なのですが……
祈り=お願いごとをすること、と言う感じがありますよね。
けれど、私は、そう思いたくないのです。
お願い=他力本願=自己を捨て神様に運命をゆだねる謙譲、ということになるかもしれませんが
お願い=利己主義、でもありますよね^^;
なので、祈るときは、〇〇してください、とは基本思わない様にしています。
神様も、頼みごとばかりきいていられないと思うし…^^;
アレコレ欲張る人の祈りモドキは、多分、却下されるでしょう……(―_―)!!
祈るときは、今のところは、何も思わないのが無難かなと思います。
しいて言えば、何があっても受け止められる自分になりたい、と思いますが
具体的にそう思おうとすると、心が乱れるので(汗)、心を無にするほうが、祈りにはいいと思います。
(↑異論・反論は、宗教上の違いなどから多多あると思いますが、私見ですのでご容赦を。
お心ひろくお願いいたします。)
そうして、罪人を赦す立場のシスターたちですが
どうしても、赦せない経験を、ルークはします。
不幸や怒りは、他人事と自分事では、まったく違うものです。
こうしたほうがいいとわかっていることは
他人事では、理屈で理解できても
身内のことでは、感情を抑えられません。
その親身の怒りや憎しみは、
深く強い愛情があるから、湧き起こること。
自己の感情を抑えることが修行であっても、人間として生きる以上
患者さんへの慈愛とて、人間愛から生まれるもの。
そもそも、修道院も教会も、組織が大きくなったための規範であって
キリスト様は、そう仰ったのか?と疑問の余地のあるものも、無きにしもあらず……
言われたことを“従順“に、こなしさえすれば、“責務“を果たしたことになるかもしれませんが
生身の人間の生活は、マニュアルの範囲内しかないわけではないので
想定外のなんとかすべきことが、目の前に生じたとき
祈りは胸の内でするとして、手を動かし、自分の信ずる愛の為に行動するほうが
神様の説く道ではないかと、思います。
(生意気ご容赦(>_<))
▼▼▼
彼女が、遂に下した決断。
それは、脱落でも逃避でもない。
あるいは、それは、彼女の試練になるかもしれないけれど
神様は、彼女に、それに打ち勝つ強さを授け、導いたのかもしれないと思えてくる。
彼女の本名ガブリエルは、神様の言葉を伝える天使の名前。
それを意図したかどうかは、不明ですが
ガブリエルの新たな旅立ちは、神様の言葉も愛も、運ぶ予感がありました。
オードリーの、可憐で芯のある、凛とした姿が、神々しく美しい☆
テーマ : 洋画
ジャンル : 映画

作品について
http://cinema.pia.co.jp/title/161979/↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。
コメディ舞台劇が、元だそうです。
が、オゾン監督は、滑稽かもしれない生活劇を
コメディどころでなく、トンでもなく、転がしてくれました☆
国語教師(=ジェルマン)が、文才を見出した学生(=クロード)に、小説の個人授業をするのですが
その小説の題材が、よろしくない(>_<)。
始まりは、週末過ごしたことをテーマにした作文の宿題だったのに……
同級生ラファに、数学を教えてあげるために、ラファの家に行ったクロードが
その家族の様子を、“記述“と若干の”修飾“を加えて書いたのですが
ほかの学生の“2行作文“の中にあっては、
先生には、それが、なんとも魅力的に、響いてしまったのです。
しかも
“続く“で、締めくくってある。^^;
続き読みたいでしょ?と誘うんですよ^^;
▼~▼、内容にふれて雑感です。
▼▼▼
1、中を見たい^^;
原題『Dans la maison』は(家の中)。
外から見える窓の内側では、どんな生活が、繰り広げられているのだろう…
と思うことは、私にもあります^^;
(ただし、窓明りを見て、あの灯りの下で、みな幸せなんだろうなぁ…….と
勝手に、ほのぼのするのですが……^^;)
クロードは、“普通の家庭“が、どう暮らしているのかを知りたがりますが
それは、若者の好奇心というだけでなく
彼の家庭事情にあるらしかったことが、うかがえて来ます。
そこの家庭に出入りして、夕飯をともにしたり、一緒にテレビを観たり
ついには、お泊りまで!
その家族の一員のように、接してくれるのです。
が、クロードは、“作文“するのです。
その“家の中”のことを、“家の外”にいる人の目で。
しかも、“記述“主体では、やがて、限界が来ます。
“演出“や”創作“がないと、面白くありません。
人物像に特徴を持たせよ、とか、向かう先に妨害があるほうが盛り上がるとか
先生も、“親身に“指導します。
2、行き過ぎ指導?(>_<)
舞台が、ラファの家なので、クロードが、ラファの家に入り浸らないと、続きません。
しかし、ラファの成績が思わしくないと、クロードよりも家庭教師を雇う雰囲気になってきます。
…….ふつう、こんな展開はないだろう(>_<)と思うのですが
夢中で読んだ小説の続きを、すごく読みたいときは
なりふり構わず、食い付くように読みませんか?^^;
先生は、こともあろうに、トンデモないことを(←しいて言えば“行き過ぎ指導”?)
しでかしてしまいます……orz
これは、クロードのためというより、先を読みたい自分のため??
ストーリーというのは、ノッてしまうと
人を引き込んで、引きずって、逃さない。
麻薬みたいなもんです。
言葉というのも、言霊と言いますが
その言葉や文体で、人を酔わせ、虜にしてしまうものですよね。
ああ、あの人の本、読みたいな~と思う、アノ感覚ですよ。
3、あとは、一気に読み進め!(*^_^*)
終盤は、結末がどうなるのかが、気になってたまらない^^;
結末とは、クロードの小説と、この作品の結末。
もはや、“家の中“の問題では、なくなって
“アウトサイド“に、足を踏み出しているクロード。(>_<)
文字にするというのは、怖ろしいもので
事実の記述から始まった、この小説に、フィクションを加えたとしても
文字として、挿入されたエピソードは、読み手には
事実の延長のように、なってしまい、区別がつかなくなる。
それが、1つのエピソードに、微妙に、事実と創作が、混ぜこぜになっていたとしたら……
それは、“事実の表現“でしかなくて
もう、何が本当なんですか?と聞くことすら、野暮かもしれない………
特に、ベッドで見せた、カメラ目線のクロードの眼差しは、たまらん!(>_<)
ナイフのような、涼しげな切れ味!
彼の存在すら、この世の者とは思えない!!!!(>_<) オーバーか^^;
……と思っていると
クロ―ドと父親の生活が映し出され、クロードの現実を見せる。
この生活背景で、クロードは、よその“家の中”に入りたい願望を持ったのかな……
解説では、“狂気“云々とありますが、ただ、常軌を逸しているわけでなく
狂気には、その背景があり、
クロードの場合は、“中流階級“の家庭への憧れや、母親への思慕なのかな~と思えてきます。
その他の人の心のすき間に、クロードや彼の小説が入り込み
狂気の渦を加速していくのが、収拾つかなくて
ある意味、滑稽に映るのも、皮肉デス……(―_―)!!
▼▼▼
脚本のテンポもよく、ドンドン、引き込まれますが
一番の魅力は、クロードを演じた、エルンスト・ウンバウアー君です♪(*^_^*)
エルンスト君の、淋しさ漂う青年期の危うさが、絶妙です。
危険な香りは、余韻まで“続く“………
PS:画廊の展示品(=性の独裁?)は、かなり、イタダケナイ (―_―)!!
テーマ : 洋画
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