作品についてhttp://cinema.pia.co.jp/title/161780/
↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。
前作『テルマエ・ロマエ』の続編です。面白かったですねェ~(*^_^*)
古代ローマ人のルシウスが、現代日本にやってきて
お風呂関係その他まで、いちいち、驚いてくれるのがツボ☆
今回も、ルシウスの驚きと感動で、楽しませてくれました☆
(しいて言うと、前作は、お湯タップリを期待したところ、お湯無しのオンドルで癒しを演出してくれたのが
ちょっと残念でした。今回は、お湯タップリを期待。)
▼~▼ 内容にふれて雑感です。
▼▼▼
ハドリアヌス帝、ケイオニウス…etc.史実を背景に流れる本作。
古代ローマのセットは、立派☆
SF超大作というだけある!(笑)~~SF=すごいふろ、とは…^^;
今回も、ルシウスが命じられて作る、テルマエの数々は……
・グラディエーター癒し用のお風呂
・移動しやすい、個人サイズの木のお風呂
・子供も楽しい、スライダー温水プール……etc.
そして、混浴♪
そのほか、お風呂上りに美味しいビール☆
ラーメン、餃子…… ←お風呂とは直接関係なくても^^;
ルシウスへの、お・も・て・な・し満載です☆
ルシウスが移動中に歌う、オペラのおじさんは、妻子登場♪(寸劇?あり^^;)
古代ローマでも、現代日本でも、移動中でも
小ネタ満載で、本当に楽しい☆\(^o^)/
特に好きなのは、力士たちが、水中移動するシーン(*^_^*)
力士の人形が、トイレの排水で、グルグル回るだけなんですけど
最後、人形が、情けなく詰まっちゃうし……(>_<)
あれだけ入れ込んで建設した、古代ローマの街並みとは対照的に
ユーモアたっぷりに、チャチいシーン……^^;
自分、チョー可笑しかった☆
それと、私が好きな、おじいさまたち☆
・いか八朗さん♪ ←ヘイヘイホー
・指圧のおじいさま ←入歯はずれる
いか八朗さんは、前作でも、いい塩梅に茹で上がっておられましたが
今回は、与作♪の絶唱です!\(^o^)/ ヘイヘイホー~ヘイヘイホー~♪
この効能は、ケイオニウス様にも、受け継がれます。
(あれから、ずっと、与作♪が頭から離れない……^^;)
そんな、ケイオニウス様は、史実どおり、病(結核)に倒れてしまいます……orz
いくらいい湯だナ~でも、長湯は、体力を消耗してしまう……
(無類の女好きではあるけれど)ローマに尽くしたケイオニウス様は、どうなる…(>_<)~その辺もみどころ
幻想的に美しくて、いいムードだったのは、混浴♪です!
古代ローマでは、風紀の乱れを理由に禁止されているとのことでしたが
老若男女が垣根を越えて、和やかに、お湯に癒されている雰囲気は、いい風情でしたね…………
ああ、温泉でのんびり出来るのは、最高の極楽だナ~と思います☆
▼▼▼
ストーリーの細かいところは、さておき
ルシウスが、驚きながらも、日本のお風呂事情を楽しむ姿には
一緒に楽しい☆
ひとっ風呂浴びるつもりで、鑑賞されてはいかがでしょうか♪
チョイナ、チョイナ~♪
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テーマ : 邦画
ジャンル : 映画

作品について
http://cinema.pia.co.jp/title/156821/↑↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。
≪あらすじ≫
就職内定した大学4年の夏、自転車の旅の途中、事故に遭った青年(以下、旅人)は
ぶつかった車の運転手が勤めるパブ『HOUSE 475』に、しばらく、留まることにする。
手当してくれたオーナーの翔子、雇われ店長のセイジ、常連客ともなじんできたある日
身近で、連続殺人鬼による事件が起こる。
その後、まもなくして起こった、衝撃的な出来事を目にした旅人は、逃げるように、その地を去っていった。
20年後、今度は、高級車に乗ってやってきた“旅人“の目には、何が映り、何を感じたのか……………原作未読なので、映画の雑感です。
西島秀俊さん主演(=セイジ)なので、観てみました。
旅人の目線が主ですが、同じシーンを、別の立場で見せたり
何でもなさそうなシーンもあとで見返すと、あのことを言ってたのか~などと
人は、それぞれの時間を、それぞれの事情で生きているんだナ~と、さりげなく思わせるのがニクイ。
▼~▼内容とネタバレ(要反転で)雑感です。
▼▼▼
……と言うのは、セイジ(とタイトル)に背負わせているのが、はじめ
“生きることの虚無“のようなものに、感じられたから。
翔子には、「セイジは生きることを諦めている」とまで言われてしまいますが
セイジの厭世感は、必ずしも、文字通りではない。
翔子が、そう感じたのは(感じたいのは)セイジは、やはり、空虚な側にいる翔子に
愛を通じた“生“を、与えてはくれなかったからだと思う……orz
(私を愛さないのは生を諦めているからなんでしょ、と言うのは端的なんですが…)
セイジも、過去からの“旅人”のように、ふらっとやってきて、店長になったのだけれど
西島演じるセイジの眼差しは、旅人のままだったように思う。(この雰囲気、イイですよ)
そこに定住して暮らしているのに、どこか、よそ者オーラが漂っている。
かといって、すねているわけでもなく、旅人が「常連さんといて楽しかった」というと
セイジは「いいことだ」と微笑んだ。
人との馴染みあいを、“いいこと“と認識しているのに、セイジは、敢えて、それに染まらない。
なぜ?
セイジは、ものが見えすぎるから、哀しい結末まで見えてしまうのだろうーーと推察した老人もいたけれど
人生は、結末で言ったら、皆、最後は死別にいきつくものです。先を見すぎちゃダメ(>_<)
その“途中経過”で、生きているんです。
途中経過で、一喜一憂して、過ごしているんですよね……
けれど、大きすぎる事件を経験してしまうと、それが、その後の途中経過を覆い尽くしてしまうこともある……
セイジには、家族をめぐる事件があったことがわかります。
信頼と絆でつながるはずの家族を、セイジは、理由があって、壊していました。
(その理由を、一瞬で見せますが、胸の痛むものです)
劇中のロックで、♪~ここから始まる~と、力強いシャウトがありましたが
それは、過去なんてどうでもいいから、ここ(今)から幸せに生きることを始めようぜ!
という、セイジへのエールのようでもありました。
かくして、「生きるとは何か」という命題が、グルグル渦巻きながら
「生きて苦しむ者はどう救われるのか」という、心身の痛みをも、巻き込みながら
グイグイと、私を締めつけていきました……
そして、ついにあのとき、セイジは、可愛がっていたりっちゃんの“苦境”の前にいました……↓要反転(ネタバレ)
りっちゃんの家は、殺人鬼に襲われ、親は殺され、りっちゃんは、左手と“心“を失っていました。
心優しい大人たちは、りっちゃんを案じて、寄り添ってくれますが
りっちゃんの痛みに届いて、哀しみから救うことの出来る人は、いないようでした。
本当に、その人の哀しみに到達することは、むずかしい。
たとえば、野生のイノシシが可哀そうと思う、動物愛護団体さんの署名活動もわからなくはないけれど
失われた命を無駄にしたくない、と言う想いから、セイジが、死んだイノシシをボタン鍋にしたのだとしたら
それもまた、供養という寄り添いなのではないかという事です。
セイジは、ほかの人が踏み込めない一歩を踏み込んで
そこにある哀しみの本質に、近づこうとする人なのでしょう。
絶望的な表情のりっちゃんの前に、セイジは、現れましたが、お見舞いという雰囲気ではなかった。
まるで、自らの闇夜を引き裂いて、そこにたどりついたようでした。
無表情のリっちゃんを、しっかりと見据え、セイジは、右手に持った斧を
自分の左手に、降り落としたのでした……
りっちゃんの顔に、血が飛び散り、涙のように、濡らしました……………………同じ痛みを知らなければ、痛みを分かつことはできない――のかもしれません。
そして、
自分の痛みや苦しみを知って(分かつ)くれる人がいることで、救われるのかもしれません。
(これは、象徴的で、極端な例ですが)
そのときに、飛び出していったきりの旅人が、20年後のりっちゃんに逢って
ホッっとした気持ちになるのは、旅人だけではないでしょう。
りっちゃんは、救われたんだナ……
今は、笑顔で暮らせているんだナ……そして
「一瞬でいいから生きたい」と思っていたセイジが、あの瞬間に、“生”きることを込めていたのだとしたら
セイジの心も、りっちゃんのおかげで、救われたのかもしれない……と思えてくる。
人との何気ない関わりを「いいことだ」と言ったセイジが、求めていたものだったのかもれないナ……
神様に祈ったとしても
最後に人を救えるのは、人間なのかもしれないナ……と思ったり。
▼▼▼
人には言えないほど重たい過去を、実は、あの人もこの人も(あなたも?)
引きずりながら、生きるという“旅“を、しているのかもしれません……
陸の魚というより、もっと、砂漠のような乾燥感もありましたが
ただ、不機嫌で厭世的な男、というのではなく(汗)
優しさと弱さがにじみ出る西島さんが、セイジを魅力的にしていたと思われます。
(観て良かった~(*^_^*))
夢を追いかけるのが、生きることーーという青春時代もありますが
糊口的に生きる現実こそ、重要なことではないか……と、私は、実感しております。
旅人と呼ばれた学生が、(今やレクサスに乗れる)安定した生活を送れてて
オバサンは、安心したよ。^^;
翔子役の裕木奈江さんも、サバサバしながらも、女の寂しさが、ホロっと出ていた雰囲気が
透明感あって良かった☆
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