映画『半落ち』★命の尊厳に対峙した寺尾vs吉岡双方の優しさ

作品について http://cinema.pia.co.jp/title/4396/
↑あらすじ・配役はこちらを参照ください。
・あらすじ→コチラも
2度目に鑑賞してからも、時間がたってしまいましたが
書き留めておきたいことがあります。
(ネタバレ前提です)
・梶 元警部 :寺尾聡
・梶の義姉 :樹木希林
・藤林 裁判官:吉岡秀隆
認知症の妻を殺したあと二日たって
出頭した元警部。
その二日間の行動と心情が、まず、謎探しとなります。
白血病で亡くなった息子がきっかけで
骨髄提供した梶は
妻の死の直後、提供者に逢えそうな資料を見つけた。
その人を、ひと目見たいと、捜しに出たため
二日間のタイムラグが、生じました。
出頭後、裁判が行われますが
裁判官の父も、認知症である描写があります。
2回目見たときは、そこに特に
想うことがありました。
▼~▼ 以下、雑感です。
▼▼▼
1.裁判での義姉の言葉
妻殺しの男の弁護――ということになりますが
“認知症の妻“ということが、焦点です。
段々、認知症の進む妹を、見てきた姉は
夫である梶のことも、見てきた立場です。
梶がどれだけ妻である妹を愛していたのか――
それを訴えます。
「私は、妹を殺してやることも出来なかった!」
涙ながらに、希林さんが言うせりふには
心が震えました。
法の前では、殺しは殺し。罪は罪。
善意とか愛情などは、法外のことでしかない。
あるいは、
殺しに“愛“を持ち出すのは、不遜かもしれない……
けれど、常識はどうあれ、姉は
梶が、妻である妹を、自分以上に愛すればこそ
罪に手を染めることを厭わなかったことを
かばい、敬意も漂わせます。
逆に、姉が、不憫な妹を、どうにもできなかったことは
罪の意識――言い換えれば
自分が悪者にはなれなかったから――とも言える。
自分可愛さは、責められない……
梶の“愛“の前には、だからこそ、ただ、涙するほかない……
2.裁判官・藤林のこと
認知症の妻殺しの罪について裁く、裁判官の一人です。
実は、藤林の同居する父も、認知症で
現実をも、わかっていない状態でした……
藤林も、認知症がどういうことか
その家族がどんな想いをしているのかは、わかっていそうな設定です。
けれど、梶との決定的な違いは
直接、介護していたかどうか―かもしれない。
藤林の父は、藤林の妻が、介護していました。
介護されるほうも不憫ですが、やはり
介護する側の心身の負担は、キレイ事では、済みません…….
藤林とて、自宅に居るわずかな時間だけでも
その“現実”は、わかりましょう……
すると、たぶん感じるのは(仕事をしているとはいえ)
自分が、実父の介護を担っていないことの負い目かもしれない……
父と妻、二人それぞれの苦悩を
わかりきれていない“迷いとも、言えるかもしれない……
梶が、どんな想いで、妻を楽にさせたか…(←敢えてそう言う)
実父も妻に、そう頼んだことがあったらしく
藤林も、その片鱗はわかるだろう――
けれども
それを、わかってはいけない(?)のは
梶を、罰しなければならない立場であるから。
そして、藤林が、梶に下した罰には、“執行猶予ナシ”という巧さ☆
“執行猶予ナシ“という厳しさは、即ち
藤林が、実父を手にかけない正当性の自らの証だと思う。
梶の心情は、身内としてはよくわかる。わかるけれど
裁判官として、それを認めるわけにはいかない。
そして、そう言っていられるのは
直接介護していないため、切羽詰まった“悲しさ“を
まだ、知らないからかもしれないけれど…………….
と思いつつ、吉岡さんの“優しさ”かな…ソコは…
(原作未読でもあり、感想の違いはご容赦くださいね)
▼▼▼
ラストシーンは、高橋一生さんが
梶の乗った車を、佇んで見送る―――
彼には、梶は、罪人などではない。
生きることの尊厳を、誰よりも知っている人――
その深さが、感動の余韻をくれました。
PS:寺尾聡さんのドラマ『喧噪の街、静かな海』に期待しまして
記憶曖昧ですが、記事にしました。よろしくお願いします。

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