映画『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』★破壊して見つけたコトと曰くある“メモ紙“

作品についてhttp://cinema.pia.co.jp/title/169563/
↑あらすじ・配役はこちらを参照ください。
原題:DEMOLITION
妻を交通事故で失った夫:デヴィッド。
彼は、妻の運転する車の助手席にいた。
突然の妻の死に、なぜか、悲しみを感じていないけれど
自販機のトラブルには、苛立ったデヴィッドは
顧客センターに、クレームの“手紙“を書いた――
予告編にもあるように
自宅を“解体“することで、やもめデヴィッドが再生するー?
――というほど、簡単でも感傷的でもなく
なぜ、妻の死に涙が出なかったのかーの
真相(深層?)を見つけたようなのが、興味深かった。
▼~▼ 内容にふれて雑談です。(解釈違うときスミマセン)
▼▼▼
1.手紙
自販機のクレーム係り宛に、
今までのことを、愚痴ついでに、吐露したデヴィッド。
ここは、妻の死を経験した男の戸惑いを、
感傷的に共感的に見せる。
突然の悲劇は
たとえ、今まで、整然と生きてきた人とて、戸惑うもの。
(まして、デヴィッドには、割り切れないモヤモヤがあるらしく)
そして、手紙という、内面の肉迫が
クレーム係の女性と その子供(少年)を ←カワイイ!
デヴィッドに引き合わせるーというキッカケになるのも
次の人生へ、ときめかせてくれる♪
2.破壊
妻の父から、修理には、ます“解体“が必要だーという
一般論を聞いたデヴィッドは、解体工事を経験してみる。
ガンガンぶっ壊すのは、ストレス解消になりそう!
一方で、慣れないと、ケガもする……これも教訓的(~_~メ)
ところが、この作品の面白いところは
「解体→再生」と、すんなり行かないところ☆←いいゾいいゾ!
そんなに簡単に、再生なんてできないもの……
モヤモヤした、妻との“すれ違い”?
なんとなく感じていた、“距離感”?
あいまいな気持ちの正体が不明のまま、突然消滅した妻に
もはや、確認することもできない。
悲しみを実感できないのは、未解決の疑問のためか。
その答えは、奇しくも、自宅を“破壊”したときにあった。
結婚生活を壊す!と、もやもやの殻を破るように
自宅を壊しまくったデヴィッド。
その肉体作業は、涙の代わりに、汗が出て
それなりの清涼感も、あったかもしれない。
が、重要なのは、その破壊作業の中で
▽以下ネタバレ▽
▽▽▽
妻が妊娠していたことを、知ったこと!
破壊の意味が、そこにあったとは!
しかも、妻の両親は、その子がデヴィッドの子ではないことも知っていて
堕胎したらしい……
それは、墓場まで、妻がもっていけばよかったことかもしれない。
自分は、知らぬが仏のまま、自宅を壊してのウップン晴らしだけでも
良かったかもしれない……
いやいや、妻との間にあった“違和感の正体“(浮気の事実)は
喉につかえた小骨ごとく、はっきりさせて、取っておきたい。
3.雨の日は逢えない、晴れの日は君を想う
これは、妻のメモ紙に書かれてあった言葉。
裏には、「冷蔵庫の水漏れ」と。
妻は、水漏れの件は、デヴィッドに話したはずだ、と言っていたけれど
デヴィッドは、聞いていない、と言っていた。
それは、恋人に話したつもりだったのでは?
「雨の日は逢えない、晴れた日は君を想う」は
恋人から妻へのメッセージ?と思ったけれど
天国にいるわが子への妻の気持ちだったのか……?
(よくわかりません…orz)
▽▽▽
いずれにせよ、“含み”のあるメモ紙を、
手にしたデヴィッドの気持ちを、慮るばかりです…
▼▼▼
あまりに悲しいと、悲しみを感じないーということもありますが
この作品は、もっとビターでした。
破壊から再生するーとは、安易かもしれなくて(汗)
デヴィッドの場合は
破壊というより、真実を“発掘“した感があります。
それがナンであれ、真実を知って、小骨をとってスッキリしてこそ
新たな人生~雨の日も晴れの日も~歩いていける気がします。

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