映画『アンナ・カレーニナ』★たとえ絶望と破滅しかなくても




映画レビューと同じです。
http://moviessearch.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id83920/rid7/p0/s0/c0/


伯爵夫人のアンナとヴロンスキー伯爵が、道ならぬ恋に落ちてしまいます。
不倫のなれの果てといえば、それまでなのでしょうが,,,,。
(私は、不倫を推奨しているわけではないことを、まず申し述べておきます。)


不幸な家庭は、それぞれに、その不幸の様相を異にしているらしいです。(冒頭より)
もし、不幸というには、贅沢すぎる境遇にあったとしても、
その“不幸”のすき間に、誰かが入り込んできてしまったら…….。
誰かを好きになろうとしていなくても、たまたま、駅で出逢ったその人に、惹かれてしまったら……。


心変わりとは別に、気持ちは、絶えず、揺れ動き、生きているものです。
物語や、芸術に感動するように、人間への感動のような気持ちが、モノに対する感動以上の
感情を生じさせてしまうこともあるでしょう。
それが、倫理的に問題でも、不適切な感情や関係でも、気持ちそのものを止めることが
困難なことも、あるでしょう。(行動を止めることは、出来ても….。)
気持ちにフタをして、鎮火するのを待てば、状況は、何事もなかったように平和に過ぎることでしょう。
しかし、情熱の火の燃えるままに、行動に移すと、そのときは、一時的な成就に酔うことはできても、
あとで、不完全燃焼と燃えカスの非情な後始末が、待っているということを、
覚悟しなければなりません。


アンナと伯爵の関係は、その無理な、理不尽な状況から抜け出すことができず、
行き詰まりからくる苛立ちと、失望にさいなまれていきます。
美しい人妻が、苦悩の淵でうちひしがれる様は、ソフィー・マルソーの憂鬱美ともいえる
独特の雰囲気によって、この作品の持つ破壊的な美しさを香らせていました。
その壊れゆく美しさに呼応するように、ショーン・ビーンのクールな美しさも魅力的ですが、
私が感じたのは、アンナほどに恋愛に潔くない、ズルさのような頼りなさでした。
この恋を、彼は、乗り越えてはくれない…………..。


そして、ついに、アンナは、
迫りくる列車の前に、その身を投げ出します…..。
列車への投身死体は、見るも無残といわれます。
この世のどこにも、自分の居場所がなくなってしまったと感じたアンナがとった行動は、
不倫の果てと片付けるには、あまりにも破滅的です。
この結末は、無情にも、単なる不倫の代償でしかないのでしょうか?
そこにあるのは、もはや絶望でしかないのでしょうか?
いったい、
伯爵への想いは、彼女の命を散らすに値するものだったのでしょうか…………………………?


道ならぬ誰かを愛してしまった、と気づいた時、
愛に目がくらんだ瞳で、
その先が、見えるのでしょうか?
そして、絶望が、見えてしまったとしても、その人への想いを止められるものでしょうか?
自分を抑える理性は、どこまで絶望に耐えられるのでしょうか?


あなたは、
その先に、たとえ絶望と破滅しかなくても、その人への想いに、
命を懸けることができますか?



関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

yutake☆イヴ

Author:yutake☆イヴ
こんにちは☆
使い方がよくわかりませんがヨロシクお願いします。^^;

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
フリーエリア
PVアクセスランキング にほんブログ村
リンク
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
フリーエリア