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映画『(ハル)』★“その先”の雑感

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作品についてhttp://cinema.pia.co.jp/title/2676/" title=" http://cinema.pia.co.jp/title/2676/"> http://cinema.pia.co.jp/title/2676/
↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。

(ネタバレ:レビュー転載↓)

インターネットでつながった(ハル)と、ほし。
顔・形がわからない相手にだと、素直な自分を向けられるから.....。

これだけネットのつながりが盛んなのは、
誰もが、そう思っているのかもしれない。
名前や顔、職業や立場、自分の正体を知られずに、
でも、自分の“生身の正体”を、見知らぬ誰かでいいから、
受け止めて欲しいと思っている。
普段、会っている人とは、顔を見せていても、内面まで見せるつきあいを
していないから。

ほしは、亡くなった彼を忘れさせてくれる人を探しながらも、
彼の一字を持った人(ハル)を選んだ。
彼を忘れる、ということは記憶から捨て去ることとは違う。
別れの苦しみにまみれた記憶を、
美しい思い出に変えて意識の奥に沈めておくことと
私は、思っている。
彼への想いを留めながらも、ほしにとって、(ハル)は、やがて
文字だけの人でなく、形ある人になっていく。

新幹線の窓を通して、初めて輪郭ある人としての存在を、
ほんの一瞬でも、確かめ合った二人。
ああ、この人が、自分の人生を生きて、
私に語りかけてくれている人なのだ....
という感激に、私は、目が潤んだ。
私が、パソコンの前に生きた自分を置いて、私を見て欲しいと思いながら、
送信したメッセージに、応えてくれる人のことを思った。
文字とアバターだけでない、私にとっては、全てが内面のその人。
少しずつ近づいて、親しみを持てば、その人に興味を持ち、
その人のことが知りたくなるのは、当然のこと。
その人の姿・形・声....生きて存在していることを、確かめてみたくなる。
そして、存在するその人が、私を見てくれていることで、
私も、自分が、生きて存在することを実感できそうな気もする。
だから、ほしは、赤いワンピースを着た。
自分が生きて、ここに存在していることを、
(ハル)の目に焼き付けてもらいたかったから...。
さらに、泣けてくるのは、ほしがイヤリングをしていたこと。
時速200kmで通り過ぎる新幹線からの遠景で、見える可能性は少ないのに、
少しでもお洒落して、綺麗にしている自分を見てほしい......。
(健気で、可愛くて、切ないです....)

しかし、
ほしは、(ハル)に嫉妬さえおぼえ、送信をやめた。
これは、妹と付き合っていたことを知り、
生生しく怒ったわけではなさそうだ。
私も、そうしたくなったから、この気持ちはわかる。
パソコンの向こうの人が、自分以外の人に、気持ちを向けるのは、
当然のことなのに、あらためて知ると、寂しいやら、哀しいやらで
言葉もでないほど、ショックなのだ。
そう、まさに言葉がでなくなってしまうのだ。
たくさんの想いが込み上げて、押し寄せてくるほど、
言葉は、出なくなってしまう..............。
伝えたくても、伝えきれなくなってしまうのだ....。

けれど、そんな傷みは、時が解決してくれる。
何より、(ハル)が何度も送信してくれて、メッセージを促してくれた。
....良い人だ、ハル。
メッセージがほしから来ないから、と諦めないでくれてよかった。
ありがとう。
その粘りは、嬉しいと思う。特に、本当に好きな人からは☆

そして、二人は、
メッセージで、本名や生年月日を明かし
遠景で、輪郭だけ確かめただけでなく、
間近に、その”存在”に逢った。
乗客が降りる新幹線ホーム。
雑踏のなかで、浮き出るように確かな存在になる二人。
挨拶を交わし、声を知る..........。
その声が、すぐそばで、お互いの内面を語るはず........。
お互いを実感した彼らの”その先”は、心を見ていない関係より、
ずっと明るいものだろうと感じながら、作品は終わる。

さて、パソコンンの前の、ほしに感情移入しながら、
ハッピーエンドを予感して見終えた、私はどうだろう。
私は、自分の輪郭さえ見せるのが怖い。
わかってほしい、と思いながら、
知られることも怖いのだ。
それは、ほしと(ハル)にはある”その先”が、
私には無いことを知っているから.....。

だから、私は、ハンドル名とアバターだけの”存在”で、
いさせてください....。

~~

ネットで親しくなった男女が、本当に顔を会わせたところで終わります。
きっと、“その先”、より親しい関係になって、結婚するところまで行ってほしいな、
と願った人も多いと思います。
もし、“その先”、波乱万丈があるとすれば、鑑賞した感激の出逢いが、
別れの序曲になってしまうからです。
ふと思いました。
男女の行く末に願っているハッピーエンドは、つまるところ結婚か、と。

①『マーサの幸せレシピ』と②『幸せのレシピ』を例に挙げます。
リメイクの関係になりますが、男女のシェフのお話です。
①では、シンデレラストーリー的な幸せの形として“結婚”を見せて終わりました。
(ドイツ作品でもあり、グリム童話つながりな雰囲気も感じます。)
しかし、シェフとしての仕事は、どうなったのかは、具体的には不明でした。
特に見せていなかったということは、現状維持ということだったのか、
就業形態よりも、二人が結ばれたということのほうが大切だ
ということだったのでしょうか?
それに対して、ハリウッドリメイクの②は、
最後、男女が結婚したかどうかは見せていません。
そうでなく、二人が自分たちの店を持って、
一緒に仕事していることを見せて終わります。
これは、アメリカ的な価値観かもしれません。
結婚したかどうかより、男女が共同作業をしていけるという“実質的な幸せ”を
見せていたようでした。
男女が出会った場合の究極の目標として、古風かもしれませんが、
今までの私の価値観だと、結ばれる=結婚というのが幸せの形でした。
ですから、結ばれる可能性のない“その先”には、悲壮感を感じたりしたのです。
②「幸せのレシピ」は、私が求めていた幸せの形を気付かせてくれたようでした。


ところで、
『マディソン郡の橋』にも、気になるシーンを思い出しました。
フランチェスカがロバートと一緒に行かなかったのは、
現状を壊したくない気持ちも、そうかもしれませんが、
“その先”が見えなかったからではないかと思います。
現実的に言えば、駆け落ちしても、生活苦や価値観の違いが露見して、
破局するような気がします…..。
二人が出逢ったシチュエーションの良さと、
4日間という限られた時間内での幸福感が
“その先”まで、続くということは、期待できなかったからではないかと。
ロバートの車が、目の前で立ち去った……そこで終わり。
“その先”は無し。
“その先”に目をつぶることで、残るのは、“忘れがたい想い出”だけとなります。
自分自身が“その先”に行かないということは、切ないことかもしれませんが、
“その先”に行かないことによって、愛した人への思慕を永遠に失わないで済む、
ということは、あるかもしれません。



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