映画『危険なメソッド』★ 一線を越える“荒療治”~ただの不倫ではない

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作品についてhttp://cinema.pia.co.jp/title/160180/
↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD22007/story.html
↑あらすじはこちらも参照ください。



医学生でもある、ヒステリーを患ったザビーナが、ユングの元にやってくる。
ユングは、フロイトが提唱した談話療法で、ザビーナと面接する……



フロイトによれば、ヒステリーの原因は幼少期の“性”的なトラウマが無意識にあるので
話すことで無意識にあるものを外にだせれば治る、とされていたようです。


フロイトは、小児期に、口唇期・肛門期などの性的発達段階があって、その時期での育ち方で
その後の性格やトラウマに関係する、というようなことを言っていました。
それは、理論・科学、ということなのですが
ユングは、それを、ザビーナに“実践“してしまうのです……

現象だけみれば、一線を越えて、愛人関係になる
ザビーナは、無意識の抑圧を表出(発散?)して、治っていくという
“荒療治”ではあります。

その現象を、どう見て、どう感じるかが、この作品の面白さなのでしょう。
どう、自分の中で、こねくり回してみるか……ということです。

以下、言葉足らずで、作品の良さを伝えきれてませんが^^;、雑感です。



◇:*:☆:*:◇:*:☆:*:◇:*:☆:*:◇:



ユングとザビーナの医師―患者関係には、
そもそもは、ユングに病気のザビーナを治したい、という特別な感情がすでに存在します。
そして、相互信頼というべき、”ラポール”も生まれます。
(この人に診てもらいたい、というのもその一部かも)


特別な感情を、“男女の恋愛”といえば、簡単なのかもしれませんが
異性に抱く感情は、恋・友情・隣人愛……とも言えない“無意識”のものが、ありますよね…?


たとえば、特別な感情を持っていないはずの異性と
近すぎる距離になったとき、ドキドキしてしまうこともそうかもしれません。あるいは
引寄せられるかのような錯覚(?)で不本意にもキスしてしまう、ノリ(?)のようなことも無いとはいえない。


〇〇がXXだから、と学問は、理論を組み立てて説明しようとするもので
フロイトは、“性的”なことも、科学の域を越えずに、格調高くいられたような印象を持っています。


それに対して、ユングは(ただ恋に落ちただけなのかもしれませんが^^;)
患者を治そうとの気持ちで(あるいは研究への野心も?)
無意識も含めた感情に身を任せたように“実践”し
結果、ザビーナの症状は改善し、医師にまでなりました。


けれど
どんなに、二人の精神状態が、それで安定したとしても
愛人関係を続けていいことはなく、別れることになりますが
別れの痛手は、お互いに、心に傷の深手を負うことになるのも、皮肉なことです。





話しかわりますが、
フロイトは、小児期の性的段階で、物事を説明しましたが
性的要素をモチーフにした、オムニバス映画があります。( 『セッソマット』 )

バカバカしい余興としてみれば良い話なのですが、色々なパターンがあって
人の生活には、大なり小なり“性的要素”で説明つきそうな気配すら感じるのですが…
その中に、印象的なセリフがありました。
子供の頃に生き別れた兄を捜しに都会に来た弟は、運命の美女に出逢って結婚しようと思うのですが
それは、オカマになった兄だとわかり、残念に思います。そのとき兄が言います。
「運命が人を出逢わせ、運命が人を引き離すのよ」



偶然を信じないというユングは、ザビーナとの出逢いにも、運命の必然という
特別な意味を感じていたのなら、その延長線上に“男女の愛”があっても
不思議ではないのかもしれませんね。


そして
暗示的なのが、ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指輪』。
それについて、詳細に、あれこれ話すと楽しいのだとは思いますが、ムリなので^^ちょっとだけ。


ザビーナは、『ニーベルングの指輪』の中の『ジークフリート』に対し、
「破滅的なところに完成をみるようだ」と言うようなことを言いますが
その後、論文「生成の原因としての破壊」という論文を書くザビーナの哲学と言うか、
美学を思わせます。
(性的に言えば、男女それぞれが、自制心を含め、何かを壊す(一線を越える)ことで
新しい命の誕生がある、ということなんでしょうか???よくわかりませんが……)



楽劇の細かいことは抜きにして、『ジークフリート』の部分だけ取り出すと
作曲者ワーグナー自身が、人妻だった妻コジマに贈った愛の歌が『ジークフリート牧歌』。
(自分たちの息子も、ジークフリートと名付けた)
そうすると、ザビーナも、破壊だの完成だの言うのは、ワーグナーとコジマのように
愛する人の子供を持ち、
不倫関係から正式な夫婦になることを望んだ、というシンプルな希望だったのかもしれませんが
現実は、許されません。


好きだから一緒になりたい。
尊敬する友人だから、ずっと親交を続けたい。
けれど、世の中は、シンプルに行かない。
人種や宗教、経済状態、貫きたい学理……etc.
ユングとザビーナが続かない様に
ユングとフロイトも続かない……
(“夢判断”で二人の将来を予見させるのも、面白い)


もし、ユングが、ザビーナを治そうという気持ちがなければ、
一線を越える“危険なメソッド”はなく、その後の彼らの運命も、変わっていたのかもしれないと
思うなりゆき……


フロイトが「治そうとしてはいけない」と言っていましたが
これも、言い得て妙、と言えます。


男女関係のことは、当時者にしかわからない感情の機微があるので
想像によるところが大きいと思いますが
ただ、医師患者の不倫話にしないで


:ユング役のマイケル・ファスベンダー
   (~知的で、抑制が効いているけれど、もろく崩れる部分も絶妙☆)
:ザビーナ役のキーラ・ナイトレイ(~常軌を逸したヒステリー表現は圧巻!かつ知的で情熱的☆)
:フロイト役のヴィゴ・モーテンセン(~作品に重すぎない品格でヴィゴのフロイトを見せてくれました☆)


この配役の魅力で、興味深い作品になったように思います。


.


未消化部分多々あり、とりあえずの雑感ということで、どうか........




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