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映画『許されざる者(2013)』★最後に許せなかった者

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作品についてhttp://cinema.pia.co.jp/title/160530/
↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。




イーストウッド主演の『許されざる者』には
“許されない罪”とは、どの範囲なんだろうか…などと思わされるのに
その疑問さえ、安っぽく感じるほどの作品でありました。

殺人でなくても、人格を著しく傷つけたり、人の心を殺すようなことは、
厳しく罰せられるべきもの、というのが1つあったと思われます。

このリメイクも、楽しみでしたが、同時に、怖い気持ちもありました……
あの衝撃を、どうアレンジするのだろうかと…。設定は、似ています。

ある娼婦の顔を傷つけた男2人を、成敗してくれた人に報奨金を出すという
娼婦たちの依頼を受けた男たちが、たどった道は?……ということです。

場面は、明治維新直後の北海道。
士族を捨て、剣を捨てた、元・人斬りの十兵衛が、
生活苦から、“や・む・な・く“殺しを請け負います。
依頼は、旧知の金吾(柄本明)。
ついでについてきたのは、アイヌ青年・五郎。

北海道が舞台というのは、“さいはての地“というだけでも、
寒さも心に震えそうなドラマが期待されます。
開拓民(和人)とアイヌの人の関係にも、哀しみを見せます。
そして、雪。

冒頭から、白い雪上での乱闘・殺戮あり、真っ赤な血が、鮮烈に画面を染めます。
その血は、人の死を意味するだけでなく、生きていた、という証のようでもあります。
この極寒の地、厳しい自然条件の中での“生”を、意識させられます。

普通なら、ワルモノ退治して、かたき討ちできて、依頼人も、請負人もスッキリで
子供のいる生活も潤って、良かったね☆となるはずなのですが
オリジナルのように、いえ、オリジナルよりも強く、今回の結末は、心に寒かった……

以下、内容に触れて雑感です。(結末はボカしてます)

▼▼▼

1、柄本明さん=金吾

十兵衛に畏怖を抱きつつ、友と呼び
彼も、十兵衛と同じく、ワケアリの過去を経験したらしいけれど、
石炭に夢を持ち、前向きな気持ちで、娼婦の仇打ちに臨む………

……と思っていましたが、やはり、前を向けないこともあります……orz
その風情が、柄本さんのやるせなさにピッタリ☆

幕臣の彼らの場合、時代が移り、自分の“生きる場所”探しをしながら
その実、“死に場所”探しもしてきたのかもしれません……
死に場所というのは、ただ、その場所というのでなく
どう死ぬか、ということでもあります…

かたき討ちというのが、新しい自分探しであったかもしれないけれど
“その時“、金吾に決意させたものがありました。←ここの柄本さんの表情が深い(*^_^*)
そして、その後の金吾の運命にも、意地と美学が潜んでいるかと。

2、死について

殺す、殺される、半殺し…etc.のシーンが多用され、ピリピリします。

そのたびに、例の“仇うち”のことが遠ざかり
目の前の“殺し”、“死”が、ただただ、無残なこととして、見えてくるのです……
娼婦の顔を傷つけたヤロウは、女の命を奪ったも同然なんだから
殺されて当然だよねとは、共感とは別のこととして、訴えてくるのです。

そして、過去に、皆殺しにしたという十兵衛であっても、真相はどうなのか?
死ねずに苦しんでいた人への同情から、手にかけたということではなかったのか…?

“死”というものの尊厳は、金吾の姿にも、強烈に語らせます。(オリジナルとも重なる)

3.十兵衛のこと

過去を捨て、新しく生きようというのは、誰でもトライすることなんだと思います。(ブログ名やHNの変更もそうかと^^;)

それで、幸せならいいけれど、そうでなければ、どう進むか……?
このままで進んでも、未来が無さそうなら、戻ってみることもあり得ます。

金吾いわく「人はそう簡単に変われるもんじゃない」 (←柄本さんの説得力ありすぎ^^;)そして
十兵衛の背中に、背負う過去を感じたのは、顔に傷を持つ娼婦。
↑この背中のシーンは、いいアングルで、語ってくれてます。

生活のために、十兵衛が戻った道は、人斬りの道。
出来ることは、“昔とったキネヅカ”なんですね。
(そういう意味でも、若いときに、“いい道”つけておいたほうがいいかな)

ふと、思ったのは
多分、母親なら、子供のためなら、何だって恐れず悪びれず、
気の咎めがあったとしても、ミニマムではないかと思うのです。(母は図太し)

けれど、渡辺謙さんは、子供のためなんだから、妻との約束を破っても仕方ないじゃないか…….
と、言い切れるタイプではないんです。
武士の心根、男の魂としては、子供のためであったとしても
多分、それを言い訳にしなければならない自分の状況に、遂にいたたまれず
恥じ、そして、許せなくなったと思うのです………

▼▼▼

良心や正義の成敗(殺人)であっても、あとに残るものは何なのか…
最後に許せなくなるのは、自分自身なのか?
今回は、特に、そんな印象が、強く残りました。


PS:イーストウッド版を未見の方には、鑑賞をおススメしておきますネ(^_-)-☆







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ジャンル : 映画

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Re: 同じ時代を舞台にするなら。

>  李監督には手塚治虫氏の「シュマリ」を映画化してほしかった。リメイクではなく。李監督はその力量があると思います。


ミカエルさん、こんにちは☆
その作品は、未見でした。そうなんですね。
リメイクでなく、と思うこともありますね。

同じ時代を舞台にするなら。

 李監督には手塚治虫氏の「シュマリ」を映画化してほしかった。リメイクではなく。李監督はその力量があると思います。
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こんにちは☆

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