映画『孤高のメス』★当麻のような外科医でいてほしい~雑感です。


外科医・大鐘先生の小説『孤高のメス』の映画化。
いつか、映画するのではないか、と楽しみにしていました。
公式サイトです。http://www.kokouno-mes.com/

地方の公立病院に赴任した外科医・当麻は、
当時、認められていなかった脳死・肝移植手術を行うことになった。
当麻についた、オペ室のナースの語りで、物語は進む…。

(内容に若干ふれた雑感です)

“目の前にある命を救いたい”
もう、言い古されている言葉かもしれないが、
医療関係者は、シンプルだけど純粋に、その思いで、
その職につきたいと思い、その仕事を続けているのだと思う。

一方、命は、法で守られている。いや、
法のなかに置かれているもの、と言うべきか。
普段は、それがそれなりの役割を持ってくれているが、時として
命は、法や規則の外に置かれることがある。

―脳死移植―
まさに、それはその1つだ。
(脳死も移植も、生物的にも、倫理的にも、哲学的にも、様々な面から
話は尽きないので、詳細は、割愛する)
脳死と診断された息子の肝臓を、息子の遺志(善意)をくんで提供したいと思っても
法にふれてしまうのだ。

そもそも医療は、善意から成り立つものだと思っている。
その人にとって、一番いい選択肢を考える。
(功名心の人もいないことはないだろうけど)
そうすると、法から外れることもある。移植だけではない。
普段、通院・入院している人は、経験しているかもしれない。
最良の選択とわかっているのに、その方法がとれない“縛り”が
少なからずある現実を。

その善意から、当麻はあえて、危険を冒す選択も辞さない。
何もしなければ救命の確立は0%だが、少しでも可能性があれば、救命したい善意から
可能性の低いオペに挑もうとする。
しかし、近年の傾向として、その果敢な挑戦は阻まれる傾向がある。
少しでも可能性があるということは、イコール少ししか可能性がないということだからだ。
結果優先で、可能性の低い前提のオペの結果が不成功ならば、医療過誤の汚名を着せられ
告訴されてしまう。
わずかな可能性に賭けた善意の外科医たちは、助けたいという想いを押さえざる得なくなり
医療が委縮していく。
実際、最近、どれだけの医療機関で、外科系の診療科が閉鎖に追い込まれたことだろう。

作品は、オペのシーンをリアルに映す。
これが、当麻たちの仕事場で、このようなことを行っている、というのがよくわかる。
人の体にメスを入れて、血管や臓器を切ってつなぐ。
映しだされた肝臓の色が、変わっていく。新たな命が吹き込まれる。
それは、ものすごいことなのだと実感できる。
外科医たちの手は、神の手なんだな~と思う。
そして、真摯な善意は、神の心でもあるように思う。

脳死肝移植のバッシングは、それほどしつこくなく
命のリレーを、肯定的に見せてくれる。

その命のリレーも、技術のリレーが必要だ。
近年、外科医志望者が激減し、単純計算では、何年後かには
外科医がいなくなる試算もあるらしい。
作品は、語りのナースの息子が、医師として、
白髪まじりになった当麻の病院を訪れて終わる。

崇高な精神、確かな技術を持つ外科医を
語りのナースだけでなく、私も、尊敬し、頼りとしている。
みな、当麻のような外科医であってほしい。
堤=当麻が、とても爽やかだ。


オペシーンのリアル度            ☆☆☆☆☆
無理に作り込もうとしない、当麻先生の真摯度 ☆☆☆☆☆

関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

yutake☆イヴ

Author:yutake☆イヴ
こんにちは☆
使い方がよくわかりませんがヨロシクお願いします。^^;

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
フリーエリア
PVアクセスランキング にほんブログ村
リンク
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
フリーエリア