映画『許されざる者』★善悪・罪の軽重を越えて




ウイリアムは、かつて、女・子供も殺したことのある男でしたが、
妻亡き後、二人の子供と静かに暮らしていました。
娼婦を傷つけたカウボーイの殺人依頼を受け、
仲間とともに、その町へ賞金稼ぎとして、向かいました。
 

恐らく、鑑賞後の感想の1つは、
人は善悪あわせもつ、ということだったり、
人の善悪ははかれない、ということなのかもしれません。
しかし、私が、鑑賞後に感じたことは、
それをあえて、言葉にしたり、活字にすることに抵抗を感じたことでした。
というのは、
作品の冒頭とラストに字幕として綴られる、ウイリアムの妻の存在が、
この作品において、大きなウエイトを占めていたからです。
この作品はこうでした、と私がうまくまとめたつもりになってしまうと、
せっかく、この字幕が作り出している、作品の深さや広がりを
こじんまりとした小さなものにしてしまう恐れを感じたのです。
 

ウイリアムは、悔いているとはいえ、過去に犯した殺人という
最大の人格否定という罪が消えるわけではない、という前提がありますが、
現在の彼は、犯人扱いされた死者であっても、金で買われる娼婦であっても
人としての敬意を払うことができる人でした。
一方、娼婦を切り刻み、娼婦仲間から殺意を抱かれているカウボーイらは、
殺人こそしていなくても、憎むべき人になっています。
 

罪の軽重は計れても、そこにある”人間性”とは相関しないということを
突きつけられるのです。
 

ずっと人を殺していなかったウイリアムが、暗がりの中で、引き金を引いた時、
彼は、お金のための殺人でなく、理不尽な扱いを受けた人たちに成り代わっての
怒りに満ちていました。
そこには、殺人という行為が、彼の良心や正義に支えられている、という
相反するものである虚無感を感じながらも、
彼の心に詰まった熱いものを感じました。
恐らく、過去の殺人においても、今回の射殺についても
ウイリアムは、一生、悔恨と良心の呵責を背負い続けるでしょう….。

 
ラストの字幕は、
『妻の母は、なぜ、娘が、札付きの悪党と結婚したのか、その理由がついにわからなかった』
私は、この文字に救われた想いがしました。
ウイリアムの妻は、
彼を慕い、愛していたことが、間接的に、伺えます。
彼の罪は恐ろしいものであっても、妻には、
目の前にいる夫の”人間性”を信じることができたのだ、と。
それが、誰にも理解されないものであったとしても、
信頼で結ばれた強い絆を、そこに感じました。
だから、彼が背負った罪の呵責を、きっと彼女も背負い、
人間としての良心を、二人で育んできたのだ、と......。
 

ウイリアムに殺された人たちも、本当は善良な市民で
殺人犯のウイリアムも、本当はいい人……、
とは、やはりまとめられそうにありません。
善悪と罪と、良心と呵責と……。
しかし、目の前にいる人の”人間性”は信じていきたいな、
という余韻を残してくれました。



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こんにちは☆
使い方がよくわかりませんがヨロシクお願いします。^^;

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